ル・クレジオ『ディエゴとフリーダ』を読んで

 ル・クレジオ/望月芳郎・訳『ディエゴとフリーダ』(新潮社)を読む。メキシコの画家ディエゴ・リベーラとフリーダ・カーロの伝記だ。著者のル・クレジオノーベル文学賞受賞者のフランス人。私が高校3年のとき、ル・クレジオの処女作『調書』が翻訳出版された。当時、ヌーヴォーロマンなどをむさぼり読んでいたので、すぐ購入し夢中で読んだ。以後数年間毎年読み返していた。その時戯れにM. M. Poloと名乗った。それがこのブログのタイトル「mmpoloの日記」のもとだ。フルネームはModesty Masayoshi Polo。最初のModestyはファンだったイタリアの女優モニカ・ヴィッティが主演していた映画『唇からナイフ』より採った。それは原題を『Modesty Blaise』といい、「内気な、上品な刃物」という意味で、なんかスーパーウーマンが活躍するコミックが原作らしかった。Masayoshiは私の本名、Poloを『調書』の主人公アダム・ポロAdam Poloから採ったのだった。そんなに入れ込んでいた。
 田舎に住んでいたので、ル・クレジオに興味を持った者は周囲にいなかったと思うが、数年前『考えるひと』2008年春号を読んで当時結構話題になっていたことを知った。その号は「海外の長篇小説ベスト100」を特集していて、そこで加藤典洋豊崎由美青山南が語っている。

青山  豊崎さんで思い出した。ル・クレジオ入れるの忘れたな。
豊崎  豊崎光一さんの訳ですね。
加藤  入れようと思ってたんだよ、僕。入れたっけ? 入れてない?
青山  「調書」は入れなかったな。
加藤  「調書」は入れなきゃいけないんですよ。若いときのこと考えると入れなきゃ申しわけない。だって、あの「調書」でしょう。そのあと「発熱」があって、「物質的恍惚」「大洪水」……。
青山  加藤さんと僕は年齢が近いので、「調書」が翻訳されたときの日本での大騒ぎはよく覚えています。「物質的恍惚」も大好きでした。
加藤  出てすぐ買ったんですよ。ちっちゃい本屋でね。帯の背に「新しい嘔吐」と書いてあった。66年、大学1年のときです。
青山  「調書」は大変な話題になりましたね。訳がまた斬新だった。「調書」はかなりぶっ壊れた小説で、ああいう小説を書いた人は、やっぱりのちのちインディオのほうに行くだろうなと思う。

 そのル・クレジオがメキシコの代表的な画家について書いているから読んでみた。
 ディエゴ・リベーラはメキシコの壁画運動の中心的画家。革命運動にも熱心に取り組んでいた。リベーラは亡命していたトロツキーを匿ったが、トロツキーはのちにスターリンが差し向けた刺客によって暗殺される。このとき暗殺者側に加担したのが壁画運動の同志シケイロスだった。
 フリーダ・カーロはリベーラより21歳下、若い時からリベーラに憧れ、二人は結ばれる。だがフリーダは少女期から重いくびきを負っていた。あとがきで訳者が書く。

 確かにフリーダ・カーロほど不幸な女性は少いだろう。少女期の小児麻痺、青春期の瀕死の重傷、二度の流産と不妊の烙印、ディエゴの女漁り。普通なら発狂するか自殺しかねないような種々の出来事に圧倒されながら、彼女は屈しなかった。奈落の底から何度も這い上ってきた。死ぬまでに受けた大手術が32回という数に、彼女のその意思が表されている。

 青春期の瀕死の重傷とは、18歳のときに乗っていたバスが路面電車と衝突したこと。フリーダの怪我は、腰のところで脊柱が3か所折れ、大腿骨も何本もの肋骨同様折れていた。左足は11か所折れ、右足は押しつぶされてぐにゃっとしていた。左肩は脱臼し、骨盤は3つに割れていた。バスの鋼鉄の手すりは腹に突き刺さり、左の横腹から入って膣に抜けていた。
 何度も受けた手術はつらいものだった。フリーダは「奈落の底から何度も這い上がってきた」。そしてその体験を昇華したような見事な絵を描く。フランスのシュールレアリストたちに絶賛される。
 しかし、愛し合いながら二人は幸福とはいいかねた。それらの歴史を、また二人の絵画をル・クレジオはていねいにたどる。フリーダが47歳のときついに死が襲う。ル・クレジオがフリーダの死を綴るのを読みながら、私は親しい友人の死に立ち会っている思いに捉われる。
 むかし、絵画を知ろうと思ったとき、入門書に3つのことを心掛けるよう書かれていた。
1.たくさんの作品を見ること
2.美術の歴史を学ぶこと
3.画家の伝記を読むこと
 今回ディエゴ・リベーラとフリーダ・カーロの伝記を読んで、二人の画家が身近になり、二人の作品への強い興味が生まれた。これまでちょっと特異な画家たちと思っていたのが、好きな画家たちに変わっていた。ル・クレジオのおかげだ。


ディエゴとフリーダ

ディエゴとフリーダ