『吉本隆明 江藤淳 全対話』を読む

 『吉本隆明 江藤淳 全対話』(中公文庫)を読む。吉本と江藤が5回も対話をしていて驚いた。吉本は極左の思想家、江藤は保守派の評論家だ。年齢は吉本が8歳年上の1924年生まれ。二人が和気あいあいと対話を重ねている。お互いに相手のことを評価し合っているらしく、強い対立関係にはならない。そういう状況を微妙に回避し合っているように見える。その点が物足りなかった。
 面白かったところを拾ってみる。吉本が、日本国というものもあと100年経てばなくなっちゃうかもしれない、しかし人間という概念は、100年ぐらいではまずなくならないでしょう、と言ったことに対して、江藤はこの1982年に行われた対談で、

……あなたは100年といわれたけれども、うっかりすればこの80年代の間にだって、日本がなくなることもあり得ると思っています。それではなくなったらどうなるのか。1億1千7百万人の人間が一人残らず死んでしまうとはちょっと考えられない。そうするとベトナムのボート・ピープルではないけれど、少なくとも数十万人か数百万人ぐらいはどこかへ逃げるだろう。その場合、逃げた人たちはどうなるのだろう。彼らは人間として見られるか、決してそうではないんですね。吉本さん、まず人種として見られるんですよ。亡国の日本人という種は、1500年だか2000年だかわからないけれど、この人種がそこに至った故事来歴を背負った人種として、突き放して見られるのですよ。その時点から改めて人間であるということの自己証明を始めなければならない。それは日系移民がすでにやって来たことの、おそらくはもっと苛酷な繰り返しです。いまは韓国系の新移民が非常に多くなってロサンジェルスだけで8万人もいる。この人たちも人間であることの自己証明を日夜迫られている。アメリカだからまだいいんでもしこれがヨーロッパでも行ってごらんなさい。それはもうどうなるかわかりませんね。そういうことを考えると、その時点でも実は失礼ながら吉本さんは楽観的に過ぎると思うのです。つまり日本国がなくなったとき、直ちに人間という概念が残るという考えが楽観的なのです。その次に出てくるのは必ず人種です。それは文学的に想像してもわかることではないでしょうか。亡国の憂目を見て、ただの人種になり、人間への道を模索している人々は、アメリカにはたくさんいます。ポーランドの難民、チェコの難民、とにかくさまざまな国からやって来ている。かつては高校の先生だった人が、アメリカの大学の小使いさんになって、床を毎日磨いている。その時彼らは何と見られている、もちろん建前からいえば人間ということになるのでしょうが、実際にはスラブ人とかあるいはユダヤ人という人種としてしか認識されていない。あなたのお考えからは、この問題が抜けていませんか。吉本さんが人間に至る思想を構築される上で、是非この人種の問題を踏まえていただきたい。人種というとナチスユダヤ人排斥とか、日本人の人種差別とか、いろいろな連想が湧きますが、この問題はやはりきちんと一段階踏まえた上で、人間に至る道をお考えいただきたいと思います。そうでなければ、その思想は綺麗ごとだとぼくは思う。

 それに対して、吉本は納得しました、自分は楽観的ではなく無知なんだと答えている。
 5回の対談のあと、1999年に江藤がなくなったのち、編集者が吉本にインタビューしていて、それが「江藤さんについて」と題して収録されている。その半年後に吉本も亡くなった。
 本書には最後に「解説対談」として、内田樹高橋源一郎の対談が載っている。これも良かった。その一部を引く。

内田  (……)敗戦と一緒に切り去られた「わが少年期」、さっきの話で言えば「戦争で死んだはずの自分」をどうにかして戦後社会にも生き延びさせなければという使命感を持っていた。そんなのこの世代の人たちだけじゃないかという気がする。
高橋  きっとそれは「当たり」ですね。
 だから、この江藤さんと吉本さんの間の世代が、いわば煉獄。つまり地獄でもないし、天国でもない。煉獄にいるという感じだったんでしょうね。

 わが山本弘もまさにこの間の世代(1930年生まれ)だった。山本も煉獄にいたんだと分かれば、山本を理解する有力な参考になる。