令和に寄せて(2)

 朝日新聞の「令和に寄せて」に金井美恵子が寄稿している。金井のことだから令和祭りに参加するはずはないが、さすがにいつもの辛辣さは幾分ソフトになっている(5月2日)。

天皇生前退位と即位による「慶祝」ムードは、10連休を政府が作ったせいで、あらゆるメディア(町の看板から広告、チラシ、テレビ、新聞、SNS)に子供っぽい、誰はばかることのないはしゃぎぶりが広がって、「平成最後の※※」という、すべりっぱなしのギャグのような言い方が蔓延している。

 金井が30年前の改元の時はどうだったかと、『新潮社100年』(2006年)という社史の年表を見ると、1989年(昭和64年、平成1年)の文芸誌「新潮」は2月に「この1冊でわかる昭和の文学」という身も蓋もなく軽薄な臨時増刊号を汲み、3月号では「文学者の証言 昭和を送る」という特集を組んでいる。

しかし、「昭和」は簡単に「送れる」ものなのだろうか。戦前と戦後に不自然な形で二分されている昭和天皇の「天皇の生まれてはじめての記者会見というテレビ番組」(昭和50年)を見た小説家の藤枝静雄は「文芸時評」に「実に形容しようもない怒りを感じた。」と書き、それは、戦争責任について質問された昭和天皇が、そういった文学的問題はわからない、という意味のことを答えたことに対する戦争体験者でもある者の怒りだった。

 「平成」の天皇が、在位中最後の誕生日会見に「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と語ったことに対し、金井は「もちろん「平成」という日本だけの元号で歴史の年代を数える国の内部だけのことである」とコメントする。

 さらに、

「平成」は世界最悪規模の原発事故をはじめ様々な大災害を何度も経験した時代だったが、その度に被災地を訪れる天皇夫妻の映像をテレビで見る機会が驚くほど多かったし、今年の4月に入ってからはさらに回顧的な映像が流され、訪問地の沿道では日の丸の小旗を振って迎える女性が、皇后について「拝むといったらなんだけど、やっぱり、拝みたい気持ち」と感きわまって語り、「有難い」、「ただただ感謝です」と口々に言う。感謝?

 いや、昔竹下首相が古里基金だかで全国の市町村に1億円を配ったとき、わが喬木村は村出身の児童文学者を記念して椋鳩十記念館を作った。当時お袋がお参りしてきたよと言って私をのけぞらせた。なんだか佐倉惣五郎の神社とごっちゃになっているみたいだ。喬木村の隣の飯田市にも佐倉神社が2つもあるようだし。
 元に戻して、

 小旗を持った女性たちだけではなく、「天皇陛下御即位30年奉祝の集い」では、北野武もお二人からお声をかけたいただいた感激を語り、日本を代表する現代詩人は、美智子皇后の美しさと知性について、心底からの感嘆の言葉を書く。(「文芸春秋」5月号)
 「私たち日本国民はなんという優雅で親切な国母を持ち、皇室を持っていることか、と幸福な思いに満たされ」(高橋睦郎)、もう一人の詩人は、女たちが蚕のそばで暮らしてきた何千年もの歴史をふまえて「蚕の命にまで耳を澄ませ」「万物の立てる響きにお心をお寄せになる皇后陛下の詩心はとても深い」(吉増剛造)と賛美する。それは詩人の言語的批評意識をこえた存在なのだろう。」
 そして、こうした心底からの賛美は生前退位で終わった「平成」が2度、いや3度、うやうやしい言葉の大群と共に終わることを暗示しているのだろう。

 最後の「2度、いや3度、」の意味することが分からない。

 普段の辛辣な金井と比べて多少穏やかになっている印象がある。あるいは編集部が手を入れて全体を穏やかなものに変えられているのかもしれない。