吉本隆明『写生の物語』を読む

 吉本隆明『写生の物語』(講談社文芸文庫)を読む。吉本が雑誌『短歌研究』に1995年から1997年にかけて断続的に連載した短歌論。「起源以前のこと」や「遊びとしての『百人一首』」から、「江戸期の短歌1、2、3」、「中也と道造の短歌」、「鴎・漱の短歌」、岡井隆論、そして「短歌の現在」まで魅力的な短歌論が並んでいる。やはり吉本の分析力は並外れていると感嘆する。
 山中智恵子論では、

  わが額(ぬか)に時じくの雪ふるものは魚と呼ばれてあふるるイエス
  声しぼる蠅は背後に翳りつつ鎮石(しずし)のごとく手紙もちゆく
  まなざしに堪ふることつひに罪のごと青蝉(せいせん)は湧く杜を帰らむ
  吹雪く夜ははや荘厳の花も散ると牛馬(うしうま)放ちいづこゆかむか


 たとえば引用の1番目の歌だ。この一首を意味のまとまり、いいかえればひと塊りの完結感として読むことは不可能だと思う。また作者の身になって推測しようとしても感覚や意味で内側に移入することもできにくい。読み方を変えなくてはならない。シュール・レアリスムの詩を読むように、一首の意味やリズムの完結感を解体して非意味の方へひらいていくために言葉は運ばれている。無関係と飛躍を創るために言葉が選ばれているといっていい。だが理解の緒口(いとぐち)は途絶えていないとおもえる。原型的な難解歌といってみた所縁だが、声調をつくるための呼吸が、短歌的であるよりも一つだけ長いということだ。


  わが額(ぬか)に時じくの雪ふるものは魚と呼ばれてあふるるイエス


 短歌的な声調を保存するためなら最終句は独立したノエシスにならずに、その直前の「魚と呼ばれて」の述語として完結感をもたせるはずなのに、作者はたぶん意識的に(あるいは半意識的に)もう一呼吸引き伸ばそうとしている。旋頭歌ではないのに、むしろ旋頭歌的な息遣いをしている。これは第2首目の作品でもおなじだ。一首の述意をたどることが不可能なほど難解だが、4小節の際立った断続性で区切られた意味の飛躍からできている。最終句の「手紙もちゆく」は、短歌的声調としてはありえない句だ。だが音数律は短歌的な声調になっている。

 俵万智について、

 往路として現在の短歌的な声調を平明にした先駆は俵万智の『サラダ記念日』だとおもう。もちろんそのまえに佐佐木幸綱がおり、福島泰樹がいたが、それを『サラダ記念日』の作品は立派な舗装路にかえたといいうる。舗装路というのは敷かれた当初に誰も通る人がいなくても、誰にでも通れる路という意味になる。この歌人はなぜ舗装路をつくれたのだろうか。修辞的な理由や修練のほどはここで言わなくてもいいとおもう。わたしにはこの歌人が恋愛感情を軽くし、性の重荷を軽くする風俗をひとりでに身につけていたからだとおもえる。歌人たちにも歌の読者にも恋愛は重い(とくに女性にとって)、性を自由にするのは重い(とくに女性にとって)という歌人にも歌の読者にもあった(いまもある)定型の重さを軽くする感性を身につけていた。
 風俗(くにぶり)の歌や諺によれば「たまきはる 恋」や「露しげき 後朝(きぬぎぬ)」であったものから、この歌人は枕詞を外したのだといってよい。いちばん風俗の現在に近いとみられるこの歌人の作品は、ほんとうは反風俗の言葉を実現していた。近作『チョコレート革命』はこの歌人の反風俗歌(諺)の完成のようにおもえる。


  チョコレートとろけるように抱きあいぬサウナの小部屋に肌を重ねて
  逢うたびに抱かれなくてもいいように一緒に暮してみたい七月
  チョコ買うように少女ら群がりて原宿コンドマニアの灯り
  年下の男に「おまえ」と呼ばれいてぬるきミルクのような幸せ
  水蜜桃(すいみつ)の汁吸うごとく愛されて前世も我は女と思う
  「不器用に俺は生きるよ」またこんな男を好きになってしまえり

 岡井隆の前衛短歌の分析も見事で、あわあわとただ驚きあきれて読んでいた。


写生の物語 (講談社文芸文庫)

写生の物語 (講談社文芸文庫)