小林恭二『短歌パラダイス』を読む

 小林恭二『短歌パラダイス』(岩波新書)を読む。同じ著者の『俳句という遊び』『俳句という愉しみ』(いずれも岩波新書)の続編。1997年初版で18年前の出版。今度は短歌を取り上げて、平安時代に行われた歌合(うたあわせ)を再現している。
 歌合というのは、歌人たちが2組に分かれ、組を代表して1人ずつが歌を詠み判者がどちらの歌が優れているかを判定し、最終的にどちらの組の勝者が多かったかを争うもの。それぞれの組のメンバーが味方の歌を擁護し相手の歌をけなすというもの。
 1日目は2組に分かれて、短歌とそれを詠んだ歌人の名前が紹介される。それを互いに評価しまた貶しあっている。判者には詩人の高橋睦郎に依頼した。
 歌人は、岡井隆奥村晃作、三枝昂之、河野裕子、小池光、永田和宏道浦母都子井辻朱美、大滝和子、加藤治郎水原紫苑、田中槐、荻原裕幸俵万智穂村弘東直子、紀野恵、杉山美紀、吉川宏志、梅内美華子。
 面白そうな気がして読み進めると意外にこれが面白くない。それは2組に分かれて、互いに相手方の歌を貶し、味方の歌をほめるのだから、本音で発言していると思えないからだ。それが如実に感じられてちょっと白けてしまう。しかも詠んだ歌人の名前が明かされているので多少は遠慮も入ってくるのではないか。途中で読むのをやめたいとまで思ったほどだ。
 ところが2日目になって面白くなった。1日目とはルールを変えて、3組に分かれ、詠んだ歌人の名前も明かされない。味方が1組なのに対して相手方がつねに2組となり、歌人が匿名なので批判が鋭くなっている。この後半の2日目はとても楽しめた。
 最後に参加者の簡単な紹介があり、それぞれ自選5首が置かれている。私は道浦母都子の歌が気に入って、彼女の歌集を読んで見たいと思った、その道浦の自選5首。

全存在として抱(いだ)かれいたるあかときのわれを天上の花と思わむ
こみあげる悲しみあれば屋上に幾度も海を確かめに行く
産むことを知らぬ乳房ぞ吐魯番(トルファン)の絹に包(くる)めばみずみずとせり
孝子(きょうし)峠 風吹き峠 紀見峠 故郷(ふるさと)紀州へ風抜ける道
父母(ちちはは)の血をわたくしで閉ざすこといつかわたしが水となること

 河野裕子の「たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり」も印象に残る。
 井辻朱美では「音たてて顎骨まはすそのかみの恐竜たちが風きくさまに」はシュペリヴィエルの馬の詩「動作」を思い出した。
 穂村弘では次の歌を。

「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」

 俳句にしろ短歌にしろプロの読みの深さにたじろいたことが大きな収穫だった。


短歌パラダイス―歌合二十四番勝負 (岩波新書)

短歌パラダイス―歌合二十四番勝負 (岩波新書)