中村隆夫『象徴主義』(東信堂)を読む。美術の象徴主義について知りたくて本書を選んだ。副題が「モダニズムへの警鐘」とあるように、中村はヨーロッパ近代の象徴主義を印象主義等モダニズムへの対抗として捉える。そして象徴主義には決まった様式がないという。
19世紀のフランス美術史はロマン主義、バルビゾン派、写実主義、印象主義、新印象主義と続くが、象徴主義はそれらと並行して起きた絵画の流れだという。現実への失望からメランコリー、死への希求、現実からの逃避、主観的世界への耽溺など、彼岸の世界への憧憬と絶望。エロティシズムという非理性の世界の重視。宿命の女=ファム・ファタルとして描かれるギュスターヴ・モローのサロメ。錬金術を語る神秘主義等々。
本書はヨーロッパ近代の象徴主義をアカデミックな視点から十全に語ってくれる。そういう意味では象徴主義の優れた教科書なのだろう。ただ私が知りたかったのは、象徴主義の歴史というよりは、具体的な作品に即しての象徴主義的なものの読み解きだった。わが師山本弘の作風に関して針生一郎さんが、山本さんは象徴派だねと言ったことの意味が知りたかった。
山本の「流木」という真っ赤な作品は、赤の中に白い流木らしきものが描かれており、それはどうやら自分の人生は血の川を流れる流木のようなものだったという画家の自省を表現しているもののようだ。また「銀杏」という作品は夜の公園に立つイチョウを描いているが、奥村土牛の『醍醐』という醍醐寺の華やかな桜を描いた作品を換骨奪胎して、土牛の華やかな桜に比べて自分の人生は夜の公園のイチョウのように暗く地味なものかもしれないが、その存在感は強く決して引けを取らないものだという自恃の心を描いたものだろう。
そう考える時、山本弘は象徴派の画家と言えるだろう。
・山本弘の「流木」と「銀杏」
https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/2020/06/08/214913