映像記憶

 目の前の小さな交差点をゆっくりと左折していく車。私はその車を見るがゆっくりとはいえ車はすでに走り去っている。残像に集中して車のナンバーを読みとる。3-6-2-1と読むことができた。今回は直後だったので可能だったのだ。
 映像をありありと記憶することができる人達がいる。酒鬼薔薇と名乗る殺人犯の少年がそうだったという。百人一首を並べてそれを見ているだけで覚えることができたと新聞が書いていた。これができる人間は鮮明な映像を記憶し、それを自由に呼び起こすことができるという。


 山本弘にもこの能力があったのではないか。東京からモデルを呼んで仲間たちでクロッキー会を開いたとき、皆が熱心にクロッキーをしているのに一人酒を飲んで会場でふらふらしていた。翌日自宅で昨日見たつぎつぎとポーズを変える裸婦をスケッチブックに再現した。
 電車の中で見た女性を帰宅してからデッサンしてみせたこともあった。
 飯田市美術博物館に収蔵されている帽子をかぶった女性像は、後に久保田活司と結婚する鈴木せい子がモデルだが、これも山本の家へ遊びに来た彼女の頭にすっと帽子をのせ、後日油彩に仕上げたものだ。デッサンもしなかったので、モデルにされたことも知らないだろう。しかし山本の頭の中には帽子をかぶった彼女の姿が鮮明に記憶されていたに違いない。


 本を読み終わったとき、気になった単語やフレーズが左右どちらのページのどの当たりにあったか、意外に覚えているものだ。これも些細なことだが映像記憶の一種ではないか。