丸谷才一による吉田秀和と小林秀雄

朝日新聞に連載している「袖のボタン」で丸谷才一が書いています。(2004.11.9)


この11月で「吉田秀和全集」全24巻が完結する。それをわたしは全集23「音楽の時間V」で知ったのだが、この千秋楽は現代日本文化にとって特筆すべき事件だと思った。生前の個人全集は多いけれど、完結で感慨にふけるなんて滅多にない。いや、はじめてかもしれない。どうしてこんな例外的なことになるかというと、前まえから、現存する日本の批評家で最高の人は吉田さんだと評価しているからだ。もちろん少数意見に決まっている。しかしこれは、盲点みたいになっているせいで見落としている向きもあるはずで、視野を広く取って眺望すればかなり納得のゆく考え方だと思うがどうだろうか。
(少し略して、次に吉田秀和の名品として「モーツァルトのコンチェルト」という一文を紹介している。全集1に入っているという。)


ここで昭和批評史みたいな話になるが、この数十年間の日本の批評は、小林秀雄の悪影響がはなはだしかった。彼の、飛躍と逆説による散文詩的恫喝の方法が仰ぎ見られ、風潮を支配したからである。無邪気な批評家志望者たちはみな、彼のようにおどしをかけるのはいい気持ちだろうなどあこがれた。そういう形勢を可能にした条件はいろいろあるけれど、大ざっぱな精神論が好まれ、それはとかく道学的になりやすく、その反面、対象である作品の形式面や表現の細部を軽んじて、主題のことばかり大事にしたのが深刻に作用しているだろう。つまり文芸の実技を抜きにして、いきなり倫理とか政治とか人生とかを扱いがちだったのである。小林の「本居宣長」が、この国学者にとって生涯を通じて大切なものであった「新古今」との関係をないがしろにし、墓の作り方の話に熱中したり、日本神話の原理主義的受容を褒めそやしたりするのは、自分でそのような形勢を代表したものであった。


吉田さんの方法はまるで違う。いつも音楽の実技と実際とがそばにある。観賞も思考も武断主義的でなく、但し書きがつけられたり保留があったりしながら、なだらかに展開するし、それが鋭い断定や広やかな大局観を邪魔することは決してない。散文の自由自在と論旨の骨格とが両立し、むしろ互いに引立てあう。わたしがいつの間にやら私淑したのも、こういう筆法のせいが大きいだろう。
二人の批評家は鎌倉で住いが近かった。そのつきあいの様子が書いてある(全集23)。


私(吉田秀和=引用者注)の知る小林さんは実に親切で情に篤い人だったが、反面、何とも潔い人でもあった。これはあの啖呵の連続みたいな、思い切りがよくて飛躍に富んだ彼の文体によく出ている(中略)
最後の大著は「本居宣長」で、ある日何の前ぶれもなく風のようにわが家を訪れた小林さんは「君、出たよ」と言いながら、真新しい本を置いていった。それからしばらくして、お宅に上がった折「やっぱり私にはこの本はわかりません」と申し上げた。せっかくの好意に、正直にいうよりほかないのが悲しかったが。


そしてわたしは、吉田さんが、「本居宣長」を賞揚する多くの人と違って、宣長をずいぶんよく読んでいることを知っている。

(以上引用終わり)


私はこれを中山隆さんに読んでいただきたくて書き写しました。中山さんは吉田秀和がお好きだと聞きましたから。そして私は長い間小林秀雄を批判する方法を考えていました。小林秀雄は近代文芸批評の創立者です。若い頃私の大事な友人が小林秀雄で転びました。
このエッセイ一つで私は丸谷才一を見直しました。