山本弘遺作展の展評(5)

「異色の画家・山本弘」by伊藤正大


「『風狂無頼』思い出展」という見出しの記事が、3月9日付けの信濃毎日新聞に載った。下伊那郡豊丘村生まれの洋画家・山本弘(1930ー81)の友人たちが、飯田市内の画廊で開いた回顧展の話だ。
山本弘は、造形美術学園(現武蔵野美大)を中退、つねに付きまとう死への衝動と、アルコール中毒のなかで、純粋な芸術を目指しながら51歳の命を絶った。東京の団体展にはほとんど出品せず、飯田市を中心に活動したので、地元以外では知る人も少なかったようだ。典型的な、うずもれた破滅型の画家だった。
そんな山本の作品が3年ほど前、美術評論家針生一郎氏の目に留まった。針生氏には、長谷川利行、鶴岡政男、阿部合成など、異色の画家についての著作も多い。針生氏の山本についての新聞記事や、昨年7月に東京・京橋の東邦画廊で開いた遺作展が、大きな反響を呼んだ。今年も同画廊で先月、油彩の小品展を開いた。
筆者は、山本弘の存在と作品について何も知らなかった。不勉強で赤面の至りである。残念ながら「思い出展」は、みることが出来なかった。しかし後日、飯田市美術博物館の計らいで、妻の愛子さんらから寄贈された43点のうち、大作十数点を見ることができた。さらに東京での小品展も見た。
「ーとりわけ注目されるのは、生活が荒廃しても、体力が衰えても、絵画の質の高さは失われないことである。ー」と、針生氏はいう。底光りする鮮烈な色彩と、奔放な運筆の画面は、大作、小品を問わず、みる者をひき付けてやまない。今後の公正な評価を期待し、作品の散逸を防がねばなるまい。
学生のころに描いたという飯田周辺の風景画や、デッサン力抜群の素描の自画像。女性を描いた都会的で明るい水彩や素描。その一方で、口をへの字に結んだ男の顔を画面いっぱいに描いた「村芝居」や、二本の木を擬人化した「木」、抽象化され、輝くような色彩を放つ「沼」などー。彼の作品は、形態の単純化から晩年は抽象に向かっていった。
人けのない飯田市美術博物館の収蔵庫で、そんな内面描写の激しい山本の作品と対峙しながら、この人はなぜ、酒におぼれ、死の誘惑に負けたのであろうかと考えていた。目の前に、妻を描いた油彩の小品「愛子」があった。モデルに寄せる作家の細やかな愛情が感じられる、限りなく美しい肖像画だった。(「信濃毎日新聞」1995年4月5日)