山本弘
山本弘「日々酔如泥」、油彩、M10号 昭和46年(1971年)制作。山本弘41歳。文字通り酒におぼれている自分自身を戯画化して描いている。本作は飯田市美術博物館所蔵となっている。しかし所蔵されている作品と少し違うところがある。所蔵されているものには左…
山本弘「雪景」、油彩、F4号(24.2cm×33.3cm) 制作年不詳。この作品を撮影したのは40年以上前になる。ポジフィルムで撮影したのであまり退色していない。30年ほど前当時勤めていた会社の応接に飾っていたら、落花生研究者の方が買ってくれた。絵を買うのは…
山本弘「ひまわり」、油彩、F4号(24.2cm×33.3cm) 制作年不詳。実は30年近く前買ってくれた人がいて、それ以来見る機会を失った。これも古い写真からスキャンしているが、色はかなり濃くなっているのではないか。 このひまわりは枯れかけているのだろう。…
今日は40年目の山本弘祥月命日だ。山本は1981年7月15日に亡くなった。享年51歳。 命日を記念して山本弘のポートレートを紹介する。 まず1966年10月、山本36歳。赤石林道でスケッチとある。撮影者不明。 自宅前にて、1973年9月、山本43歳。撮影は私。 家族…
東京六本木の六本木ストライプスペースで「凸凹な多面体:星埜恵子の仕事 1970-2021」と、併催されている「池田龍雄(1928-2020)いつも近くに、そしていつまでも」が開かれている(7月15日まで)。 「凸凹な多面体」は舞台美術家として1970年にデビューし…
新潮社の「とんぼの本」シリーズに『信州かくれ里 伊那谷を行く』という本があり、そこに「大平峠」という項目がある。大平峠は長野県の飯田市と木曽を結ぶ大平街道の途中にあり、そこに大平集落があった。それについて、 なまこ壁のある大きな土蔵、太さ40…
山本弘「どんど」、油彩、F4号(24.2cm×33.3cm) 制作年不詳。実は30年近く前買ってくれた人がいて、それ以来見る機会を失った。これも古い写真からスキャンしているが、色はかなり濃くなっているのではないか。 「どんど」はどんど焼きのこと。正月明けに…
「題不詳」1976年制作 山本弘「題不詳」、油彩、F10号(45.5cm×53.0cm) 1976年10月制作、46歳のときのほとんど最晩年の作品。何が描かれているのだろう。左下に「ヒロシ」のサイン。片仮名のサインは珍しいが時々書かれている。 実はほとんど同じ構図、同じ…
わが師山本弘について、その作品に分からないことが少なくなかった。それがここ半年理解が深まった気がする。さて、山本弘の特質を3つのキーワードで表せば次のようになるだろう。 それは、「アンフォルメル」「象徴派」「アル中」である。山本は終戦時15歳…
重い手足 山本弘「重い手足」、油彩、F12号(60.8cm×50.0cm) 1977年制作、47歳のときのほとんど最晩年の作品。題名から2度の脳血栓の後遺症による不自由な手足、つまり自分のことを描いている自画像だと分る。足はいいつも引きずっていたし、手も不自由だっ…
中村隆夫『象徴主義』(東信堂)を読む。美術の象徴主義について知りたくて本書を選んだ。副題が「モダニズムへの警鐘」とあるように、中村はヨーロッパ近代の象徴主義を印象主義等モダニズムへの対抗として捉える。そして象徴主義には決まった様式がないと…
山本弘「幼」、油彩、F12号(60.6cm×50.0cm) 1978年制作、48歳のときのほとんど最晩年の作品。最後に到達した境地と言えるだろう。 実はキャンバスが貼られている木枠が割れていてキャンバスが歪んでいた。そのためまだ一度もじっくり見たことがなかったし…
長野県安曇野市にギャルリー留歩(るぽ)という画廊がある。いまここで「栗原一郎展 おんなを描く」が開かれている(7月31日まで)。その一隅に山本弘『湘(しょう)』が特別展示されている。油彩3号(27.3×22.0cm)、1974年制作。湘は山本弘の一人娘、この…
昨日6月15日は山本弘の誕生日だった。生誕90年となる。 ・ 山本弘を偲んで、暮沢剛巳『現代美術のキーワード100』(ちくま新書)を手に取った。購入したのは11年前、しかしこれは一種の事典だから興味のあるところだけ拾い読みしてきた。今回初めて「アンフ…
山本弘に関して何人もの評論家や新聞雑誌記者が語ってくれたが、ダントツに優れていたのは針生一郎さんだったと思う。海外の新しい美術潮流や運動に関しては中原佑介や東野芳明の方が適任だったかもしれないが、絵画を見る眼は針生さんがダントツだった。 山…
私が初めて山本弘に会ったとき、山本は37歳だった。その時山本が好きだと言った画家は、モジリアニ、スーチン、ゴッホ、そして長谷川利行だった。長谷川については豊橋に住む友人の画家山本鉄男にもらったという分厚い画集を持っていた。後日東京ステーショ…
山本弘の初個展は1958年(昭和33年)8月に飯田市公民館で開かれた。当時山本28歳。この時36点を展示したと記録にある。この個展について先輩で俳人でもある久保田創二が飯田市の地方紙『南信州』に寄稿している。久保田創二は、山本のことを詠んだかにも見え…
1991年に飯田市美術博物館で「新収蔵品展」が開かれ、山本弘の作品12点が初めて展示された。その4年後、1995年に同じ飯田市美術博物館で「平常展示 須田剋太の世界/山本弘――館蔵品より」が開かれて、20点近くが展示された。 それをきちんと撮影していなかっ…
山本弘「(題不詳)」、油彩、F6号(31.7cm×41.0cm) 制作年不明、画風とサインからおそらく最晩年のもの、1977年か1978年ではないか。だとすれば山本弘47歳か48歳だろう。 幼い子供を描いている。誇張されているが娘の湘の面影が見られる。湘ならばこの頃6…
昨日、小原泫祐/若栗玄さんの簡単な履歴をスケッチした。その中で、東邦画廊での山本弘初個展に際して画廊から山本の年譜の作成を求められ、知人たちに手紙を書いて山本とのエピソードなどを教えてくれるよう依頼した。それに対して小原/若栗さんは丁寧な…
山本弘「童(仮題)」、油彩、F4号(24.3cm×33.5cm) 1976年制作。山本弘46歳。最晩年の作品になる。仮題の童はキャンバスの裏面に誰かの手でそう書いてある。制作年と山本弘の署名は本人の手だ。しかし童が描かれていることは間違いない。戦後あたりの風俗…
山本弘「崩」、油彩、F4号(24.0cm×33.5cm) 1976年制作。山本弘46歳。最晩年の作品になる。左上から右下にかけて複雑に線が走っている。標題「崩」から見ると、山の斜面が崩れているように見える。崩壊する山腹を描いているのだろうか。右側に薄い赤や緑が…
横浜桜木町の横浜市民ギャラリーで第8回横浜開港アンデパンダン展が始まった(1月19日まで)。その「特別展示 横浜の縄文、美と力」に山本弘を出品した。「削道AB」(30F)と「黒い丘」(10F)、「川」(10F)、「森」(4F)の4点の油彩と書「泥遊」だ。 今…
年末、書類の整理をしていたら、43年前の山本弘さんからの手紙が出てきた。その年1976年はアル中治療のため前年から入院していた飯田病院を1月に退院し、愛子さん(奥さん)によれば断酒している。(断酒はその後2年間も続いた)。断酒の結果、神経がピリピ…
山本弘(題不詳)、油彩、F4号(24.0cm×33.5cm) 1976年制作。山本弘46歳。最晩年の作品になる。それにしてはこの単純な構図は何だろう。キャンバスの裏には山本以外の筆跡で「静物」とある。画面の右下には「ヒロシ」とサインがされている。この片仮名のサ…
山本弘「面」、油彩、サムホール(SM)(22.8cm×15.8cm) 1964年10月制作。山本弘34歳。中期の作品になる。ちょうど東京オリンピックが開催されていた頃だ。山本は当時すでに脳血栓の後遺症で手足が不自由になっていたのではないか。 小さな画面に般若の面を…
山本弘「河童」(仮題)、油彩、F4号(33.5cm×24.3cm) 制作年不詳。ただサインから晩年の作品であることが分かる。河童を描いている。背に甲羅を背負い、頭に皿が描かれている。子供のように下腹が膨らんでいる。ユーモラスな姿だ。 山本は絵は売れなかっ…
東京渋谷のアートギャラリー道玄坂で開かれている山本弘展も今日が6日目だった。明日25日が最終日となる。今回の目玉は30号の「種畜場」だ。山本自信の白が美しい。霧をモチーフにしたさの作品の美しさを実際に見てほしい。 ・山本弘展8月19日(月)-8月25…
山本弘「白い顔」、油彩、F30号(91.0cm×73.0cm) 制作年不詳だが、1978年10月に飯田市で開かれた生前最後の個展に展示された。以前この作品の解説として、「題名から白い顔が描かれているのだろうが、どれが眼鼻かと考えるとよく分からない」と書いた。現在…
東京渋谷のアートギャラリー道玄坂で山本弘展が始まった(8月25日まで)。今回ベテラン画家のOさんに手伝ってもらって展示をした。私が採用したい作品をOさんが除き、私があまり評価しない作品をOさんは採用した。それはとても刺激的な体験だった。評価=好…