ドナルド・キーン「声の残り」がすばらしい

 ドナルド・キーン「声の残り」(朝日文藝文庫)がすばらしい。副題が「私の文壇交友録」で、1992年に朝日新聞に連載したもの。英語で書いているようで、金関寿夫が訳しているが、日本人の作家18人との交遊が回顧されている。取り上げられているのが、火野葦平阿部知二佐佐木信綱谷崎潤一郎木下順二川端康成永井荷風吉田健一河上徹太郎石川淳篠田一士三島由紀夫大岡昇平有吉佐和子開高健司馬遼太郎大江健三郎安部公房だ。特に三島は4回にわたって取り上げられている。
 谷崎淳一郎のことは本当に尊敬していたらしい。キーンが京都から東京へ転居するとき、谷崎夫妻がわざわざ京都駅へ見送りに来てくれたことや、初めて日本で出版した本に序文を書いてくれたことを「なんと私は幸せな人間だったことか!」と感激して書いている。
 川端康成についても深い印象をもったようだ。川端に関する楽しい思い出は山ほどもある、と書いている。川端の自殺についても「私自身は、気も転倒するくらい、大きなショックを受けた」。悲しいことだと書いている。

「吉田(健一)と一緒にいるのは、常に楽しかった」。吉田は入ってくるお金は湯水のごとく浪費し、シャンパンやキャヴィアを注文し、とことん飲んで酔っぱらったのだった。
 三島由紀夫についての項でトルーマン・カポーティのことが語られる。

東京で三島に歓待されたトルーマン・カポーティは、ニューヨークに来た三島に、頭から会おうともしなかった。これを聞いても、私は、さもありなん、と思っただけで、別に驚きはしなかった。というのは、カポーティという男は、私がそれまでに会った人物のうちで、最も不快、かつ信用出来ない人間の一人だったからである。

 私の大好きな「クリスマスの思い出」の著者カポーティとは、こんな人物だったのか。
 次に三島が、自然についていかに無知であったかが明らかにされる。

ある時のことだ。彼(三島)は一人の年輩の庭師に、近くの木を指して、それが松の木かどうかを確かめようとした。松の木を知らない日本人が、この世にいようとは想像もできなかったその庭師は、多分松の種類を訊かれたのだろうと判断して、これは雌松ですよ、と答えた。そこで三島はちょっと考えてから、再び訊ねた。「これ全部が雌松ですか?」庭師は、そうだと答えた。すると三島は、もう一度訊いた。「全部が雌松だとすると、松の子はどうやって生まれるの?」

 ここでいう雌松とは赤松のことであり、黒松が雄松なのだろう。
 このあと、開高健大江健三郎安部公房について書かれている。日本文学はドナルド・キーンというアメリカ人の理解者を得たことでどんなに幸せだったかということがよく分かった。この著者の本をもっともっと読んでいこう。
 最後にひと言、この名著が現在品切れで、私はAmazonの古書で買ったのだった。こういうのを文化不毛と言わずに何と言おう。


声の残り―私の文壇交遊録 (朝日文芸文庫)

声の残り―私の文壇交遊録 (朝日文芸文庫)