塚谷裕一『漱石の白百合、三島の松』を読む

 塚谷裕一『漱石の白百合、三島の松』(中公文庫)を読む。副題が「近代文学植物誌」とあり、植物学の専門家である塚谷が日本近代文学に登場する植物についてあれこれ論評している。

 本書に興味を持ったのは、須藤靖が「注文の多い雑文 その59」で推薦していたためだ(『UP』2022年9月号)。そこから引用する。

 

……漱石の作品にはしばしば百合が登場する。なかでも『それから』において「白百合」は重要な役割を果たしている。私レベルの読み手であれば、白く美しいものを象徴する花という漠然としたイメージを抱いて読み進めるだけであるが、漱石と植物をともに愛してやまないT先生(注:塚谷裕一)がそれで満足できるはずはない。色、香り、形態、季節など、小説中の記述を総動員して、その種類を徹底的に絞り込み、どちらかといえば消去法的にそれが山百合であるとの結論に至る。

 

 されに、塚谷はタイトルにもるように三島由紀夫が松を知らなかったというエピソードを取り上げる。塚谷の文章から、

 

……三島の取材旅行に(ドナルド・キーン)氏が同行したときのこと、三島が松の木を指さし、居合わせた植木屋に何を言うかと思ったら、「あの木は何と言うか」などと聞いたので、植木屋は「松です」と答えた。しかし、いくらなんでも松の木を知らないはずはないだろうと、植木屋は「雌松と呼んでいます」と付け加えたそうである。それに対して三島が「真顔で『雌松ばかりで雄松がないのに、どうして子松ができるの』と聞いた」ものだから、植木屋もキーン氏も驚きあきれた、という話である。

 ここでいう雌松とはアカマツのことだが、この逸話をもってキーン氏は、「都会っ子の三島氏は植物や動物の名前をろくに知らなかった」としている。

 

 これに対して、塚谷は三島が数々の小説の中で植物について詳しい描写をしていることから、三島は植物オンチではなかった、例の松の木の話は、雌松がアカマツの異称であることを三島が知らなかったというような、言葉の行き違いによる誤解だったのではなかろうか、と言っている。

 さて、三島が松を知らなかったかどうかは分からないが、月の出について詳しくはなかったことは、短編「孔雀」からよく分かる。

 

 彼は待った。夜光時計を見て、夜半を夙(と)うにすぎたのを知った。ひろい遊園地には音が全く絶え、目の前には豆汽車の線路が星あかりに光っていた。

 空には雲がところどころにあいまいに凝(こご)っていたが、風はなく、山の端(は)がおぼめいてきて、赤らんだ満月が昇った。月はのぼるにつれて赤みを失い、光を強め、孔雀小舎の影はあざやかに延びた。

 

 三島はここで「夜半を夙うにすぎて(中略)山の端がおぼめいてきて、赤らんだ満月が昇った。」と書いている。満月(十五夜)は日没後しばらくして昇るのだ。それから徐々に遅くなる。十七夜以降を立待月、居待月、寝待月、更待月などと呼ぶ(Wikipedia)ように、はじめ立って月の出を待っていたのが、だんだん遅くなるので座って待ち、寝て待つようになる。だから夜半をとうに過ぎて満月が昇ることはない。

 やはり三島由紀夫の自然理解はブッキッシュなものだったように思うのだが。

 本書を読み終わって、残念ながらさほど実りある議論とは思えなかった。