大木毅『独ソ戦』(岩波新書)を読む。副題が「絶滅戦争の惨禍」。第2次世界大戦のドイツとソ連の戦いを描いたもの。副題が内容を語っている。この戦争の死者はソ連側で2,700万人、ドイツ側で(西部戦線を併せて)600~800万人にものぼった。
毎日新聞の藻谷浩介の書評から(2019年9月22日付け)、
ここまで凄惨な戦争は、なぜ始められたのか。そもそもヒトラーには、旧ソ連の住民を死に追いやってドイツ人植民者に食糧を増産させるとの、恐るべき妄想があった(世界観戦争)。だが著者はそれとは別に、ドイツ軍の指導部にも、旧ソ連の資源、食料、労働力を根こそぎ収奪するという、冷酷な戦争目的があったことを指摘する(収奪戦争)。無理を重ねて軍備を増強したツケで、ドイツは深刻な物資と労働力の不足に見舞われていたのだ。だからこそ旧ソ連側も死を賭して反撃し、勝てば残虐な報復に出た。
戦争前、ソ連のスターリンは独裁を強めていた。レーニンが没したのち、スターリンの権力基盤は不安定なものがあった。スターリンは自分を追い落とそうとしている者たちがいると疑心暗鬼になり、秘密警察を動員してソ連の指導者たちを逮捕・処刑させた。粛清は文官のみならず赤軍幹部にも及び、1937年から1938年にわたって34,000名の将校が逮捕、もしくは追放された。その内22,700名は銃殺されるか行方不明になっている。軍の最高幹部101名中91名が逮捕され、その内80名が銃殺された。軍の最高幹部であったソ連邦元帥も当時5名いたうち、3名が銃殺された。名将と謳われたトハチェフスキー元帥もその一人だった。
そのため独ソ戦が始まったときのソ連軍は著しく弱体化していた。スターリンは1939年締結の独ソ不可侵条約を過信した。ヒトラーは1940年の対仏戦で思いがけない大勝を収める。しかし対英戦では一進一退の戦況だった。ソ連を叩いてその勝利でイギリスの抗戦意欲をそぐことを考えた。1941年6月22日、ナチス・ドイツはソ連への侵略を開始した。
その後のドイツ軍、ソ連軍の戦闘が詳細に語られる。ほとんどニュースの実況中継さながらだ。指導者たちの思惑、個々の軍の動き、多数の地図を使ってまるで優れた戦記ものを読んでいるような臨場感だ。
両軍とも捕虜に対する処遇はひどかった。のちにシベリア抑留者だった画家の宮崎進は、日本人捕虜に対する処遇よりもドイツ人捕虜に対する処遇のほうがひどかったと言っていたという。報復の感情が強かったのだろう。
優れた書を書いてくれた大木毅に礼を言いたい。素晴らしい読書経験だった。
