小林文乃『グッバイ、レニングラード』を読む

 小林文乃『グッバイ、レニングラード』(文藝春秋)を読む。副題が「ソ連崩壊から25年後の再訪」とある。小林文乃は10歳の時、テレビ局のドキュメンタリー企画に応募し、ソ連時代のモスクワに長期滞在した。2週間の取材を終えて帰国した直後、モスクワでクーデターが起こり、それは失敗に終わったが、結果としてソ連は崩壊した。

 その25年後、小林は再びソ連=ロシアを訪れる。テレビ局の取材で、ショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」の誕生から初演までの軌跡を追うという企画だ。

 第2次世界大戦で、ヒトラーナチスドイツはソ連に攻め入り、レニングラード(現サンクトペテルブルグ)を完全に包囲し、それは900日間も続いた。食糧が断たれ、水道、電気、その他すべてのライフラインが断たれた。大寒波がレニングラードを襲った時は氷点下40度にまで達した。封鎖中の犠牲者は100万人以上と言われる。餓死者と凍死者だった。当時のレニングラードの人口は319万人だったのに。人肉食も噂された。

 その包囲されたレニングラードショスタコーヴィチ交響曲第7番を作曲した。完成が近づいた時、ショスタコーヴィチは救出され、疎開先でついに第7番「レニングラード」が書き上がった。そのクイビシェフで初演され、楽譜はマイクロフィルムに収められ、ロンドン、その後アメリカで演奏された。1942年夏、ついにレニングラードでも演奏された。この時まだドイツ軍が包囲していたにも関わらず。

 ドイツ軍は1945年1月、レニングラードの包囲を解き撤退していった。交響曲第7番「レニングラード」はソ連及び連合国の抵抗の証しになった。

 小林文乃はソ連=ロシアの歴史をたどり、また現在のロシアの実情を記していく。もともと出版プロデューサーであり、多くの書籍の出版・編集に携わったという小林の文章は面白く読みやすい。しかし、同時に包囲された悲惨なレニングラードを語る小林の筆は軽く、その点が物足りなかった。

 それでも、ショスタコーヴィチ交響曲第7番「レニングラード」を聴き直してみようと思った。

 なお、本書のタイトルはドイツ映画『グッバイ、レーニン!』へのオマージュとのこと。