片山杜秀『鬼子の歌』を読む

 片山杜秀『鬼子の歌』(講談社)を読む。副題が「偏愛音楽的日本近現代史」というもの。雑誌『群像』に2年半ほど連載していた日本のクラシック音楽の作曲家たちの代表曲の紹介と解説。片山は日本政治思想史の専門家だから、読み応えのある見事な評論集になっている。10人の作曲家を取り上げて全部で540ページもある。その10人は、三善晃伊福部昭山田耕筰、尾高尚忠、別宮貞雄、諸井三郎、早坂文雄、深井史郎、山田一雄、大木正夫、信時潔、戸田邦雄、黛敏郎松村禎三。このうち何度も書いている伊福部に14ページしか当てていないのに、三善には64ページも割いている。それに次ぐのが深井の62ページで、黛の54ページと松村の48ページがそれに続いている。
 三善晃はテレビアニメ『赤毛のアン』の主題歌から始められる。曲を分析してまるでオーケストラ歌曲だとまで言う。作曲が三善晃なのだ。三善ではオペラ『遠い帆』が取り上げられる。『遠い帆』は伊達政宗に派遣された遣欧使節団の支倉常長を主人公にしている。支倉は足掛け8年かけてヨーロッパに行って帰国すると日本は鎖国の方向へ揺れていた。日本には居場所がなくなっていた。片山はこれは三善のことであると説く。三善は20歳前後から名声をほしいままにした天才作曲家だった。フランスに留学して帰国後心底から落着ける居場所がどこにもなかった。
 1945年の1月にラジオで演奏された山田一雄のオーケストラ曲『おほむたから』は天台宗の『声明』も採り入れたと山田は言った。この「も」について、片山が解く。『おほむたから』は声明も、マーラー交響曲第5番の第1楽章「葬送行進曲」も引用した曲だった。標題の「おほむたから」は天皇の民、それへの葬送行進曲だった。片山はこれを「一億玉砕音楽」であり、お経と化したマーラーマーラーと化したお経だと解く。
 黛敏郎のオペラ『金閣寺』についてもすばらしいエピソード満載で読み応えがあった。黛と三島由紀夫との確執なども。
 だが傑作なのは松村禎三のオペラ『沈黙』を論じた最終章だろう。松村は東京藝大音楽学部を受験するが不合格だった。成績は合格だったが、結核が進行していた。清瀬の療養園に5年間も入院した。重症だった。片山は、松村が『沈黙』のオペラ化を人生の大仕事に選んだのは、独房のロドリゴを療養所の自分に重ねられると信じたからに違いないと書く。
 「あとがき」で片山も書いているが、武満徹芥川也寸志團伊玖磨などが取り上げられていない。柴田南雄についてもぜひ書いてほしい。
 各作曲家のエピソードを中心に紹介したが、片山は優れた音楽評論家でもある。詳しい楽曲分析が随所に書かれているが、私にはとうてい理解が及ばない。だが、片山の著書を読むことは、それが日本近代政治思想史にしろ音楽評論にしろいつも大きな楽しみを与えてくれる。

 

 

鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史

鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史