片山杜秀『音楽放浪記 日本之巻』を読む

 片山杜秀『音楽放浪記 日本之巻』(ちくま文庫)を読む。先日読んだ『音楽放浪記 日世界巻』の姉妹編だ。本書の元はやはり月刊誌『レコード芸術』2000年から2008年にかけて連載した「傑作!? 問題作!?」で、それをアルテスパブリッシングという出版社が『音盤考現学』と『音盤博物誌』という2冊の本に単行本化した。その2冊はセットで吉田秀和賞とサントリー学芸賞を受賞した。
 片山はたった5歳のときに特撮映画『怪獣総進撃』を見てその映画音楽に魅せられる。それが伊福部昭の音楽だった。小学校の高学年のとき、伊福部が映画音楽の作曲家ではなく、クラシックの作曲家だと知った。それで都内のレコード店を回って伊福部のレコードを探したら何枚か見つかってそればかりを聴いた。13歳のとき東京文化会館で伊福部の曲を聴き、伊福部を見かけた。16歳のとき東京文化会館のロビーで初めて伊福部に話しかけてプログラムにサインをもらった。高校生のときに『大阪城物語』の音楽がLPレコードで発売された時は嬉しくてジャケットを抱いて寝たものだとまで書いている。大学3年生のとき伊福部の演奏会を企画し、プログラムに伊福部の談話を掲載しようと自宅を訪ねている。
 片山の現代音楽好きは伊福部昭から始まった。モーツァルトショパンではないのだ。音楽を大局から見て、また細部に専門的な目配りもしている。現実社会と音楽のかかわりもきちんと押さえ、楽曲分析も専門家のものだ。
 「ささのはさらさら」で始まる《たなばたさま》という唱歌がある。作曲者は下総皖一

 旋律に使われるのは、レミソラシという5つの音。それは雅楽の律音階にあてはまる。といっても、レで始まりながら、最後はレに戻らずソで終止し、ソの支配力を強く感じさせるので、レミソラシをソラシレミと並べ替えたくもなる。ソラシレミならヨナ抜き長音階だ。長調の音階から4番目と7番目が抜けている。ドとファのシャープを足すとト長調になる。だから《たなばたさま》は、律音階による古い童謡のようでも、ト長調に近い西洋風のようでもある。しかも二部や三部の輪唱にし、単純素朴なポリフォニーを編むと、座りがよくなる。

 この《たなばたさま》にこそ信時学派の理想とした音楽のひとつの姿があると思うと言う。
 上野の東京音楽学校に作曲科を作ったのが信時潔で、信時は大編成の複雑な音楽はしだいに廃れて、今後は線的・対位法的な方向で簡潔になってゆくと考えていた。信時の弟子の下総が作曲した《たなばたさま》はその方向にある。信時の弟子が下総で、下総の弟子が松本民之助だ。松本の弟子が坂本龍一になる。坂本の作曲した『戦場のメリークリスマス』の主題曲に付いて、

……レから始めれば、レミレラレ、レミレミソミ、レミレラドになる。レミソラドという、律音階の変種のような五音音階がみてとれる。ところが、その次に一種の転調が起きる。尻尾のドから急に1オクターブ上のドに上がり、レからドに中心音が代わったようになって、その上のドからドシソミと加工するフレーズが響く。この四音はハ長調や南方的五音音階を意識させる。ハ長調というのは四音がドミソと導音のシからできているからで、南方的な五音音階というのはドミソシにファを補うと琉球音階になるからである。

 坂本龍一も信時学派だと言う
 片山は日本政治思想史が専門の学者だ。だから音楽史にも社会の変動が織り込まれる。見事な現代日本音楽史にもなっている。すごいのは片山はこの仕事を片手で行なっていたことだ。神様、ちょっとばかり不公平ではありませんか。

 

 

音楽放浪記 日本之巻 (ちくま文庫)

音楽放浪記 日本之巻 (ちくま文庫)