片山杜秀『大楽必易』を読む

 片山杜秀『大楽必易』(新潮社)を読む。副題が「わたくしの伊福部昭伝」で、伊福部昭クラシック音楽の作曲家、だが『ゴジラ』の映画音楽の作曲家として名高い。芥川也寸志黛敏郎の師でもある。伊福部によれば、先祖は因幡の国の宇倍神社の神官を明治維新まで務め、伊福部昭の代で67代続く家系で、これは天皇家より古いという。

 著者の片山杜秀は慶応大学法学部の教授で専門は政治思想史。だが小学生の頃からの伊福部の大ファンで、中学生の頃伊福部のLPレコードが発売されたとき嬉しくて抱いて寝たという。

 片山の「あとがき」より、

 いちばん好きな作曲家は誰か。モーツァルトか、ベートーヴェンか、ワーグナーか。クラシック音楽ファンを名乗るうちのかなりの人々は、まずそういう名をあげるのではないか。あるいはシューベルトか、ショパンか。マーラーか、ブルックナーか。いや、ドビュッシーラヴェルということもあるだろう。だが、わたくしの場合は伊福部昭である。幼い頃から一貫して変わっていない。まさに雀百まで踊り忘れず。日本の作曲家の中では、とかの、限定付きの話でもない。古今東西の全部から誰かひとりと訊かれれば、どうしてもそうなのである。子供の頃は好きでしたが、もう卒業しました、ということには絶対にならない。

 

 片山は中学生のとき、「聖地巡礼」のように伊福部邸を見に行く。高校生のとき、伊福部の作曲した曲が演奏された東京文化会館でファンとしてサインをねだり、次に握手をしてもらった。大学3年のとき、所属していた大学のクラシック音楽サークルで伊福部や早坂文雄のオーケストラ作品のコンサートを行うことになって、プログラムに載せる談話をもらいに伊福部家を訪問した。そのプログラムをきっかけに片山は伊福部家へ通うようになった。やがては伊福部の伝記を書きたいと長時間のインタヴューを重ねテープを採った。

 伝記がなかなかまとまらないうちに伊福部は2006年91歳で亡くなる。

 伊福部が北海道で独学でヴァイオリンを学び作曲を進めていった経緯が詳しく語られている。片山との対談の中で本来あまり語られない内輪のエピソードなども吐露されている。ゴジラの作曲家と見られていることのへの複雑な感情も。

 私は伊福部の音楽に強い興味は持っていなかったが、片山のコアなファンなので本書を手に取った。そして伊福部昭の音楽を聴き直そうと思った。持っているCDは「弦楽オーケストラのための日本組曲」だけだったが、なかなか面白かった。もう少し色々聴いてみたい。