片山杜秀『革命と戦争のクラシック音楽史』(NHK出版新書)を読む。2019年4月~6月、朝日カルチャーセンターで行われた講座「クラシック音楽で戦争を読み解く」の内容を再構成したもの、とある。ところどころ講義中を思わせる言葉遣いが残されているのは、片山が本書を「執筆したのではなく講演を書籍化したのだ」というメッセージを仕込んでいるためではないだろうか。
政治学者がこれまた専門の音楽を語っているので間違いなく面白い。4つの章建てで、「ハプスブルグ軍国主義とモーツァルト」「フランス革命とベルリオーズ」「反革命とハイドン」「ナポレオン戦争とベートーヴェン」となっていて、当時のヨーロッパ史とからめて作曲家が語られている。
ハイドンはハンガリー系の大貴族エステルハージ侯爵家の楽長になるが、フランス革命が勃発し封建領主の貴族は次第に経済的に傾いてゆく。同家の楽団も解散してハイドンも楽長とは名ばかりになってわずかな年金が支給されるだけになる。困ったハイドンはロンドンへ行き演奏会を開いて大稼ぎしようとした。富裕な新興ブルジョワ市民層がステータス・シンボルとして貴族的音楽を求めていた。
ハイドンはそれまで貴族を聴衆に作曲を行ってきた。耳の肥えた貴族は上品で優雅で単純にすぎない音楽を求めた。ところがロンドンの成り上がり者たちにはそれが通用しなかった。片山はロンドン以後のハイドンに「感性の革命」が起きたという。その結果、ハイドンの音楽のメロディは通俗的で覚えやすくなり、パンチの利いた工夫が増え、大きな演奏会場で趣味の良くない聴き手までを集中させるために音量的・音圧的な工夫も増した。そこからの音楽による「情動の喚起の仕方」が今のクラシック音楽を聴く感性の大きな基になっているという。
ロンドンの新興ブルジョワジーの音楽趣味が近代のクラシック音楽趣味を規定したのだった。上品な貴族趣味からは遠く離れて。
こんな風にどの章も面白く読んだのだった。片山杜秀、いつだって期待を裏切らないのは立派だ。