片山杜秀『音楽放浪記 世界之巻』を読む

 片山杜秀『音楽放浪記 世界之巻』(ちくま文庫)を読む。本書の元は月刊誌『レコード芸術』2000年から2008年にかけて連載した「傑作!? 問題作!?」で、それをアルテスパブリッシングという出版社が『音盤考現学』と『音盤博物誌』という2冊の本に単行本化した。その2冊はセットで吉田秀和賞とサントリー学芸賞を受賞した。『レコード芸術』連載時は小さな活字で見開き2ページにツマのように押し込まれていた印象だった。連載が終了しても『レコ芸』の編集部が単行本化したのではなく、新興の出版社だった。
 しかしながら、片山はクラシック音楽、特に現代音楽を語らせたら当代1だろう。それも音楽が本職ではなく、近代政治思想史が本職の慶応大学法学部の教授なのだから驚いてしまう。
 本書ちくま文庫版ではアルテスパブリッシングの単行本を、世界篇と日本篇に再編集している。
 ショスタコーヴィチを語るのに石坂洋次郎原作の映画『陽のあたる坂道』や『若い川の流れ』を援用する。戦後しばらくの日本ではショスタコーヴィチは現代のベートーヴェンという意見がけっこう支持されていた。ところが『若い川の~』が制作された翌60年、大島渚が『日本の夜と霧』でショスタコーヴィチ交響曲第5番《革命》の第1楽章を使う。ここではスターリン主義が批判される。このように片山は次々と卑俗な例を絡めて現代音楽を語っていく。
 また映画音楽で有名なニーノ・ロータのピアノ協奏曲が作曲されてからレコード化されるまで21年とか39年とか、長年月がかかったことを語る枕に、諸井三郎の交響曲第3番を引く。諸井のは1944年に作曲されてから2000年までにわずか5回しか演奏されていない。ドイツの鍵盤奏者ハーリヒ=シュナイダーが絶賛しているのに。その5回のうち片山は、78年の山田一雄の指揮、96年の本名徹次の指揮、2000年の飯森泰次郎が新響を指揮した3回の演奏を聴いていて、飯森の演奏解釈に、こんな諸井がありなのかと驚いている。
 片山の現代音楽の鑑賞体験の膨大な量と、的確な解釈にただただ驚くのだった。専門の日本近代政治思想史についても同様に驚くばかりだったが。

 

 

 

音楽放浪記 世界之巻 (ちくま文庫)

音楽放浪記 世界之巻 (ちくま文庫)