横尾忠則の書評

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 朝日新聞の書評欄に変な画像が掲載されていた(4月27日)。「解題」によると、アラン・ド・ボトンとジョン・アームストロングの共著『美術は魂に語りかける』(河出書房新社)の横尾忠則による書評だという。この「書評」は横尾が活字だけを使ったアート作品で、この本のために書いた評の本文を何度も重ね刷りしているのだという。それで苦労して読んでみた。

印刷インキが紙に定着するまでに何度も重ね刷りの工程を繰り返した結果、そこに予想を超えた不確定な抽象形態が現出する。それを「ヤレ」と呼ぶ。かつて若い頃印刷所で体験したその経験は私に初めて芸術魂を移植した瞬間として今でも私の内部で創造の核となっている。
 本書にはサイ・トゥオンブリーの、重ねたりひっかいたりした行為の結果、画面全体が黒く、まるでヤレのような効果を上げた作品が掲載されているが、非美術のヤレが彼の手によって美術に昇華された、そんな一連の作品をMOMAの個展で観た時の驚きこそ「美術は魂に語りかける」遭遇事件だったのである。
 アートを前に胸が締め付けられたり、涙の流れる感覚を体験することがあるが、こうした感情が生理に及ぼす時、われわれはそこに知性の作用ではない何か別の計り知れない力のようなものが語りかけてくることに気づく。それを魂の作用と言えばいいのか……。
 本書の原題は”Art as Therapy”(セラピーとしてのアート)で、表題にある「魂」について語るというより、「アートは人を癒す道具」として、一般的な美術論を超えて人間の精神と肉体を開示させる力の法則のようなものを、哲学の眼で日常生活の中にわれわれの魂を位置づけてくれる。セラピーが魂とイコールかどうかは私にはわからないが、アートをただ鑑賞の道具としてではなく、「実用」としてのアートに目覚めるならば、アートの使命はとてつもなく、社会と人間を巻き込んだ人間生存必需品として考えれば、アートの存在は宇宙的な視野にまでその領域は拡張されていくような妄想が美術家としての私の中でわけもなくザワつくのである。
 本書は多岐にわたって従来の美術書とはかなり内容を異にしながら、鑑賞者のアート観を根底から振動させるに違いない。

 

 結構な手間をかけさせた割には、その労力に見合わない印象が強い。

 

 

美術は魂に語りかける

美術は魂に語りかける