平芳幸浩『マルセル・デュシャンとアメリカ』を読む

 平芳幸浩マルセル・デュシャンアメリカ』(ナカニシヤ出版)を読む。副題が「戦後アメリカ美術の進展とデュシャン受容の変遷」というもの。デュシャン論ながらアメリカの美術評で語られたデュシャンという視点から論じているのだが、これは膨大な論文に眼を通して初めて可能なことだ。そしてそのような考察からデュシャンの姿が見えてくる。
 1913年にニューヨークのアーモリー・ショーでデュシャンの「階段を降りる裸体No.2」が紹介されてデュシャンはキュビストとしてアメリカに登場する。また1936年にニューヨーク近代美術館での「幻想美術、ダダ、シュルレアリスム」展でデュシャンシュルレアリスム作品とレディメイド作品が展示される。
 デュシャンは1917年に匿名で男性用便器を「泉」と題して出品し、その後も瓶乾燥器など既製品を作品として展示している。これらをレディメイドと呼ぶが、作家が判断し命名することで作品が成立するという考え方が確立していく。デュシャンは画家が絵の具を選びカンヴァスの上に色を載せること、それは選ぶことだと言い、既製品を選ぶこともできる、選択が絵画においては重要だという。
 1926年にはブルックリン美術館で「国際モダン・アート」展が開催され、ここにデュシャンの代表作「花嫁は彼女の独身者たちによって裸にされて、さえも」(通称「大ガラス」)が出品された。

 50年代にはネオ・ダダの若い作家たちがデュシャンを再評価し、自分たちの作品に日用品を導入する。デュシャン受容の焦点がレディメイドに移る。著者がここでネオ・ダダと呼ぶのはジャスパー・ジョーンズロバート・ラウシェンバーグの2名だ。このころアメリカではデュシャンがダダ=反芸術として理解される。

「画家の時代」のデュシャンにとってキュビズムがそうであったように、抽象表現主義が厳然たる規範として君臨していた時代において、ジョーンズやラウシェンバーグが採った手段は、日用品を「導入」し、表現主義的な身振りから脱却することであった。おそらくは、その選択のゆえに、彼らは絵画の「表面」を消去する、あるいはそれを物体そのものと一致させることはできなかったのであろう。レディメイドが「ダダ」としてしか受容されない可能性が支配的である以上、「絵画」の規範としての抽象表現主義をその射程に収めながら、デュシャンとの距離を模索する者にとっては、絵画としてのレディメイドは深く潜ったまま前景化してはならないものであったのかもしれない。

 このころフルクサスが登場する。イベント、パフォーマンス、ハプニングなどと語られる運動は、ジョン・ケージを経由してデュシャンに通じている。

 ジョン・ケージの教え子たちを核とするフルクサスのこのイベントのあり方は、ケージが沈黙をもちいて音楽で行おうとしていたことを芸術一般に敷衍したものであると言える。ケージの有名な《4分30秒》は、ノイズへと耳を開くことで、世界が音に満たされていること、楽音によらない豊かな音楽の領域が存在することを作品化したもの、ではない。そうではなくて、音楽は楽曲にあるのではなく、聴覚を意識化することにあるのだということ、つまり音楽とは身体的な知覚経験の中にしかないことを告げるものである。ケージからフルクサスへと受け継がれる「コンクリート」という考え方は、身体において具体的に生成するものを指す言葉である。

 60年代にポップ・アートが出現する。平芳は書く。

……レディメイドが示した「芸術」の成立条件と同等のものをポップ・アート、なかでもとりわけウォーホルの諸作品が、いくぶん狡猾な方法で、あからさまに再提示したということである。

 そして平芳はティエリー・ド・デューブの言葉を引用した後、次のように書く。

 つまり、レディメイドが「これは芸術である」という判断と命名の問題である以上、誰しもがすでに常に芸術家である。この条件のもとでは、作者と観者は時間的な前後関係を別にすれば、等しい権利を有した存在となる。

 この後コンセプチュアル・アートとフォーマリズムについてデュシャンとの関係が考察され、ついでデュシャンの遺作「与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス」が語られる。この遺作はフィラデルフィア美術館に設置され、頑丈な扉の向こう側に妖しい光景が広がり、それを2つの覗き穴から見るという作品だ。

扉の奥のレンガの壁の割れ目を通して観者の眼にとびこんでくるのは、枯れ草の茂みに埋まるようにして横たわっている裸体の女の姿である。ハレーションを起こしそうなほど強い光のもとでその女性はこちらに向かって股を開き、無毛の女性器を晒している。頭部は汚れたブロンドの髪で覆われ顔は見ることができない。レンガの壁によって右手と両足の先端がどうなっているかわからないが、左手は、タイトルにある照明用ガスを指すのであろうか、アウアー燈を垂直に捧げ持っている。その女性の背後には湖と森と空の風景が広がっている。その森の中央から、蛍光灯とローターの仕掛けによって、滝が静かに落ち続けている。

 デュシャンレディメイドの作家として、アメリカの現代美術の作家たちに大きな影響を与えてきた。オリジナリティを否定し、機械的描法による主観的表現の消去、偶然性の導入、手作業の否定、既製品利用による作者と観者の差異の消去など。それが遺作の出現によって無効化されるようだ。
 平芳は「あとがき」で書く。

……戦後アメリカ(そしてヨーロッパあるいは日本の)美術にとってデュシャンは、鏡のような存在であった。それは若い作家たちの自己像を投影する場となると同時に、その投影によって「デュシャン」という名と像が浮かび上がる構造になっていたのである。

 デュシャンを語ると同時にアメリカ現代美術の優れた概説書である本書をちゃんと読み込まねばと思ったことだった。