布施英利『現代アートはすごい』を読む

 布施英利『現代アートはすごい』(ポプラ新書)を読む。副題が「デュシャンから最果タヒまで」というもの。実際は現代アート入門書といったところか。初心者に対してはよくできている。

 デュシャンの便器の作品「泉」について。小学校の図工の授業で先生が「家にあるものを何でもいいから持ってきて、それでアートを作りましょう」と言ったとき、便器を抱えて持ってくる子供がいたら、先生は叱るかもしれないが、子供たちにはウケる。デュシャンの「泉」はそういう作品だ、という。

 またデュシャンの「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」(別名大ガラス)について、これは花嫁と独身者(御男たち)を描いたものだ、これは二次元の花嫁だという。

 こんな調子で難解な現代美術(アート)をやさしく噛み砕いて解説していく。ポロックのドリッピング絵画は、誰でも作れそうだが、絵具の濃さ・薄さ、硬さ、手のスピードなどで線の途切れ具合、雫の点々の大きさが変わる。それを他の人が再現することはできない、と。

 ダミアン・ハーストは今年国立新美術館「桜」の絵を展示した。ハーストは動物の死体や骸骨を作品として展示して度肝を抜いた作家だ。それが壁紙のような桜を描いて批判されていた。布施は「国立新美術館の展覧会場を出た後、自分は、本物の、骨太の絵画の登場を見た、という充実感に包まれていた」と書く。

 河原温の日付絵画について、

 

 ある日、愛知の美術館で、河原温が描いた「Today Series」を見ていたことがあった。そこにあるのは文字と記号だが、自分にはそこに描かれた「その日」に、地球が一回転し、その回転の間に、地球の中の小さなアトリエで、一人の画家が絵を一枚、完成させた光景が見えた。想像できた。

 するとその絵に、宇宙の壮大な空間と、壮大な時間が見えてきた。

 たしかに、河原温の「Today Series」は、たかが日付だが、しかし途轍もない現代アートなのだ。

 

 布施はさらに建築家のアルヴァ・アアルトと詩人の最果タヒをも現代アートだと主張する。いや、建築も詩も現代アートとは言わないだろう。

 河原温の日付絵画に壮大な空間や時間を見るのは贔屓の引き倒しだろう。デュシャンの「大ガラス」の解釈も薄っぺらい。ダミアン・ハースト「桜」のどこが本物の骨太の絵画なのか。

 総じて「現代アートはすごい」という前提で、それに合わせて言葉を並べている印象が強い。有名な画家、美術家が無条件に良いわけではないだろう。現代アートのどこがそんなにすごいのか、読者は説得されないだろう。読み終えて不満が募った読書だった。