毎日新聞の書評から

 先週5月14日付けの毎日新聞の書評は私には当りだった。読みたいと思った本が5冊も紹介されていた。

 

新井潤美『英語の階級』(講談社選書メチエ)評者:村上陽一郎

 村上が「この本、メッチャ面白い!」と書く。

「サッカー」と「フットボール」。日本では「ア式蹴球」と言ったように「アソシエーション・フットボール」の省略形が「サッカー」で、省略して最後に〈er〉を付けるのが、上流のやり方だから、「フットボール」の方が庶民のことばということになる。そこまでは、何とか理解していたが、アメリカでアメリカン・フットボールと区別するために、サッカーが頻用されるようになると、アメリカ英語に対する「感覚」から、むしろ「サッカー」を庶民的表現と受けとる傾向が今は顕著だ、という話になると、実地に、じっくりと事態を観察して初めて書ける話だろう。

 

 

イーヴリン・ウォー『大転落』(岩波文庫)評者:ピーター・J・マクミラン

 記者であり作家でもあった私の母が、16カ月前に他界した後、私は彼女の図書を相続した。(中略)全ての本を日本に持って帰ることはできなかったので、私は運べる本だけを選んだ。母が所蔵する本の中に、イングランドの小説家イーヴリン・ウォーが書いた2冊の小説を見つけた。私が初めて母と一緒に読んだ記憶がある本のうちの2冊、『一握の塵』『大転落』だった。(中略)

 まだ10代であった私が、この小説(『大転落』)の才気あふれる散文に触れて強烈な印象を受けたことを今でも覚えている。ウォーの評判は、その晩年にはかなり落ちていた。反ユダヤ主義で、社会的な解級の分断や富の不平等が自然なものだと主張していたからだ。彼はスノッブ(紳士気取り、上流階級を気どって下の階級を見下すこと)の人間嫌いとして広く知られるようになっていた。しかし、最近の研究では、これがあくまでもステレオタイプであり、彼の悪意のあるユーモアの底には深遠な芸術性があることが明らかになっている。

 

 

 

島田雅彦パンとサーカス』(講談社)評者:永江朗

 高校生のときにふたりだけの秘密結社を作った御影寵児と火箱空也が、大人になって世直しをしようとする痛快な小説です。(中略)

 寵児は東大法学部を卒業してアメリカに留学。CIAのエージェントになって帰国、内閣情報室に出向します。表向きはテロ対策が任務ですが、官邸内に目を光らせるのが裏ミッション。空也暴力団組長の息子ですが、組は継がず人材派遣会社に就職します。

 寵児がコロンビア大学修士課程で書いた論文のテーマは日本人の心性研究。「占領時代が終わっても、永続的に対米従属が続く日本にあって、国民は自らの手で真の独立を獲得できるのか? それとも独立など最初から放棄しているのか?」が寵児の疑問であり、この小説全体の通奏低音になっています。

 

 

 

*山下征士『二本の棘』(KADOKAWA)評者:加藤陽子

兵庫県警の刑事だった著者は、1984年のグリコ・森永事件、87年の朝日新聞阪神支局襲撃事件を軸に、これらの事件が残す教訓と課題を後世に伝えようと本書を書く。(中略)

 阪神支局襲撃事件については、事件翌年の88年、中曽根康弘前首相と竹下登首相(当時)が脅迫されていた事実、特に後者については97年まで刑事部門に秘匿された事実が語られる。現場の刑事にとっては衝撃だったろう。「最初にテロを実行し、行動能力を示したうえで、政治家には水面下で行動変容を迫ったと考えれば、『犯人の真の狙いは朝日ではなく政治』だったという仮説も成り立つからだ。靖国・教科書問題で竹下首相に行動変容を迫っていた政治主体がクローズアップされてこよう。

 

 

 

*古田雄介『ネットで故人の声を聴け 死にゆく人々の本音』(光文社新書)評者:花田菜々子

無名の人たちの闘病ブログやSNSを中心に、彼らが死の間際に何を考えどのような言葉をインターネット上に残したのかを、ときに遺族への取材も行いながら丁寧に辿っていくノンフィクション。

 

 

 読みたいとは思わなかったが、印象に残ったフレーズがあったのは、高橋秀美『道徳教室』(ポプラ社)評者:養老孟司

 「5限目」は政治家並びに自民党を対象としており、「耳障りな発言」という項で感心したのは、「菅義偉内閣総理大臣(当時)の話を聞くとなぜこんなにイライラするのか」の分析だった。著者は前総理の発言には「を」が多いと指摘する。「決定いたしました」と言えばいいところを「決定をいたしました」と言う。後者では「誰が」という疑問が当然残るわけで、聞き手にすっきりしない気持ちが残って、ついイライラするわけである。