山田風太郎『同日同刻』を読む

 山田風太郎『同日同刻』(ちくま文庫)を読む。副題が「太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日」というもの。解説に高井有一が書いている。

 

 『同日同刻』は、太平洋戦争の最初の一日と、最後の十五日間に、日本、アメリカ、ヨーロッパの各地で起つた出来事を、信頼出来る記録にもとづいて再現する試みである。(中略)例へば、日本海軍の飛行機が真珠湾を急襲したちやうどその時は、モスクワ戦線のドイツ軍が、ソ連軍の反撃と極寒に耐へ兼ねて、総退却を開始した時と重なるのである。(中略)

 真珠湾の戦果を知つて、日本国内は沸き立つた。興奮し、感動した作家の文章がいくつも遺されてゐる。(中略)「ゆっくり、しかし強くこの宣戦布告のみことのりを頭の中で繰り返した。頭の中がすきとおるような気がした」と高村光太郎。「言葉のいらない時が来た。必要ならば、僕の命を捧げねばならぬ」と坂口安吾。「この開始された米英相手の戦争に、予想のような重っ苦しさはちっとも感じられなかった。方向をはっきりと与えられた喜びと、弾むような身の軽さとがあって、不思議であった」と伊藤整。(中略)

 日米開戦の報を受けたチャーチルは、その夜「救われて感謝に満ちたものの眠りを眠った」といふ。

 

 1945年8月6日から15日までを「日本の歴史における空前の酸鼻なる10日間」と山田風太郎は呼ぶ。6日8時15分、広島に原爆投下。巨大な茸状の雲が立つ。「それは雲の上に屹立した山に、巨大な自由の神像が腕を空にあげて、人間の新しい自由の誕生を象徴しているかのようであった」と、W・L・ローレンス「0の暁」の一節を引いたあとに、山田風太郎は「アメリカ人のいう『人間の自由の誕生』の神像の足下に20万人の日本人の屍体が積まれた」と書き加へた。

 

 ポツダム宣言の受諾を巡って、陸軍を中心に徹底抗戦、本土決戦論が噴出する。日本政府が国体護持、つまり天皇制維持を条件にポツダム宣言の受諾を連合国に表明したのが10日午前10時、回答は12日午前3時に来たが、その中の文言の解釈に関して事態は紛糾する。14日に再度の御前会議。正午にようやく天皇の「聖断」が下された。大岡昇平は既に10日に日本の条件付き降伏表明を知っていて、受諾が遅れたことを、「俘虜の生物学的感情から推せば、8月11日から14日の4日間に、無意味に死んだ人達の霊にかけても、天皇の存在は有害である」と後に『俘虜記』に書く。

 本書の最後の15日間の記録は息詰まるような迫真をもって読者に迫ってくる。戦後70年の今も日本人の必読書と言えるのではないか。優れた書だと思う。