嵐山光三郎『漂流怪人・きだみのる』を読む

 嵐山光三郎『漂流怪人・きだみのる』(小学館)を読む。きだみのるは、戦前、山田吉彦の本名で『ファーブル昆虫記』(岩波文庫全10巻)を林達夫と共訳し、戦後は『気違い部落周游紀行』がベストセラーになって映画化もされた作家だ。その映画は私も小学生の頃見た記憶がある。フランスから帰国した戦中、東京南多摩郡の恩方村(現・八王子市)に疎開し、その村での生活を面白く書いたものが大当たりした。
 しかし村の秘密を書いたことで住み続けることが難しくなり、以後全国を放浪して歩いた。ただ晩年に生まれた小さな娘を連れて歩いたことがかなり特殊だ。自分が父親だということも伏せて、また小学校にも通わせることなく、連れ歩いたことがその少女ミミの生涯に決定的な影響を与えてしまう。
 嵐山は当時勤めていた平凡社の企画できだに雑誌の連載を依頼し、その取材に同行するなどしてきだと親密な関係を結ぶ。きだの身勝手でわがままな性格に翻弄されながら、嵐山は作家と編集者という関係以上にきだに深くのめり込んでいく。
 嵐山はミミが小学校にも通わないことに心を痛めていた。きだが岩手県の大船渡に滞在していたとき、近くの小学校の分校に勤務する子供のいない教師にミミを預ける話が出る。そしてその分校で1年遅れの5年生に編入することになった。
 ミミは今まできだが自由奔放に育ててきたから、ある面では年齢以上に優れた面も見せたが、集団行動や授業時間をおとなしく受けることが苦手だった。教師はミミをスパルタ式に殴って教育した。しかしミミは教師の手におえる子ではなかった。
 きだが亡くなったあと、教師は三好京三の筆名でミミを引き取って育てたことを小説に書いた。その『子育てごっこ』は直木賞を受賞した。その小説を嵐山が要約している。

 リリ(ミミの小説での名前)は、傲岸と見栄っぱりという性格を獲得させられ、身勝手な老画家(きだが画家とされている)の独善の口吻をまねて虚勢を保つ。これでもか、というほどミミ君はこきおろされていた。
 やがてリリが星沢老人(きだのこと)の孫ではなく、人妻との間に生まれた子ということがわかってくる。
徳育を決定的に欠けさせた元兇の老画家は、週に1度か10日に1度、吏華(リリのこと)に逢いに来た。鈍重な車を唸らせ、汚濁に満ちた人生の中に今も浸っているという顔つきで、憮然とやってくるのだった」
 という一節を読んで、嵐山は雑誌を床に叩きつけたくなった。小説はきだみのるへの悪意と怨念にみちていた。
 小説は、星沢老人とリリの人格をこれでもかというほど断罪破壊しながら、最後はリリを引き取って育てていくという美談に仕たてられていた。

 こういうのを反吐が出るというのだろう。そして、

 教育評論家となった51歳の三好は、「神に近づいていく」教育論を書いていた。

 読み終わって優れたきだみのる論だと思った。しかし、きだは決して気持ちの良い人物ではなく、そのため心地よい読書とは言いかねた。嵐山はまた、『楢山節考』の深沢七郎にも師事して、『桃仙人−小説深沢七郎』(中公文庫)を書いている。深沢もきだに劣らず偏屈で気難しい作家だった。嵐山はそういうタイプが好きなのかとさえ思ってしまう。


漂流怪人・きだみのる

漂流怪人・きだみのる