黒テント公演『青べか物語』を見る


 劇団黒テント第73回公演『青べか物語』を神楽坂のイワト劇場で見る。原作が山本周五郎、上演台本と演出が鄭義信、出演が黒テントの役者たちだ。
 芝居は群衆劇の構成をとっている。主人公の蒸気河岸の先生役は次々と役者が変わる。手にスケッチブックを持っているのが先生役になる。楽しい舞台だったが、あるエピソードがあまりに下品で、途中で帰りたくなった。原作の「朝日屋騒動」の部分だ。
 勘六と妻のあさ子は博奕が好きで夫婦で参加する。亭主の負けがこんでくると、あさ子が「片膝立ちになって赤いものをちらちらさせる」。若くて、小股の切れあがった美人で、それが片膝立ちに構えると、下の肌着と肉体の一部がちらちらし、そのため博奕を打つ手許が狂うというのだが、あさ子の場合は成功しなかったばかりか、「気分を害しちゃう」という非難さえ起こった。それは彼女が若くもなく、小股の切れあがった美人でもないからではなく、なすびがさがっているから、という理由であった、と書かれている。「片膝立ちになって赤いものがちらちらするとき、同時に、さがっているなすびが見え隠れした」と書かれているのは、そこそこ下品といったところだが、これが舞台で演じられると堪えがたいほどなのだ。
 しかし帰らなくて良かった。原作で「芦の中の一夜」に相当する場面は素晴らしかった。幸山船長のエピソードだ。引退後、葦の中に繋いだボロ舟に一人で暮らす老船長から蒸気河岸の先生は若い頃の悲恋を聞かされる。舞台で先生に向かって老人が話すのを聞いていて、私は涙を抑えられなかった。それを演じたのが服部吉次という役者だ。服部のことは40年近く前に見た佐藤信 作・演出の喜劇『昭和3部作』に登場した金魚売りで天皇の役が強烈な印象だった。今回初めてその役を超える印象を受けたのだった。
 優れた舞台は原作を超えた印象を与えることができる。見終わったとき、下品な場面も含めて満足して帰宅したのだった。
 上演台本と演出の鄭義信は、3年ほど前の新国立劇場で公演した『焼肉ドラゴン』でその年の日本と韓国の演劇賞を総ナメにした感があった。私はNHKBSで放映されたのを見て感動した。戦後の大阪の在日朝鮮人を描いたドラマだった。昨年同じ劇場で再演されて私はそれを見ることができた。しかし最初のテレビで見た感動はなかった。なぜなのだろう。チェホフは何度見ても良いのに。井上ひさしも。
 鄭義信はこんにゃく座の『ネズミの涙』も見た。子ども向けの舞台で戦争中の日本や中国?の兵隊に翻弄される朝鮮人をねずみの世界に変えて描いていて、初めて朝鮮の人たちの悲しみと苦しみが少しだけ理解できた。
 鄭が優れた脚本家であり演出家であるのは間違いないだろう。では『焼肉ドラゴン』は何が問題だったのか。個々のシーンはとても面白かった。それが二度目に見たとき、全体として深い感動に繋がらなかった、それはなぜだったのか。既視感が強かった印象がある。
 さて、『青べか物語』は昭和初期の漁村の猥雑で下品な世界を描いている。同じく猥雑で下品な農村を描いたのがきだみのるの『気違い部落周游紀行』だった。きだみのる山本周五郎を参照したのではないだろうか。
 閑話休題黒テントの経営するイワト劇場は家主との契約の関係で5月に移転するのだという。何年か前、都立家政の稽古場からようやく自前の劇場が持てたのに、残念なことだ。どこか良い移転先が見つかればよいのだが。



青べか物語 (新潮文庫)

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