先日、12日の夜、ジャン・アヌイ作『アンチゴーヌ』を見た。演出が栗山民也、新国立劇場演劇研修所公演で、第8期生修了公演だった。すばらしかった。アヌイはギリシャ悲劇ソフォクレスの『アンティゴネ』を翻案してこの芝居を書いている。
私は高校生の頃この戯曲を読んでいる。当時少しも面白さがわからなかった。チェホフの『かもめ』『桜の園』『三人姉妹』も読んだが、短篇小説の完成度の高さに比べてやはりつまらなかった。その頃清水邦夫の『署名人』も読んだがこれまた面白くなかった。
カミさんと一緒になったとき、戯曲を読んで舞台が想像できなきゃダメよと言われた。あれはもう15年くらい前になるだろうか、木冬社のスタジオ公演で『署名人』を見た。圧倒された。また舞台で見たチェホフの芝居はいつもすばらしかった。私は戯曲から舞台が想像できないのだった。
今回見た『アンチゴーヌ』はただただ見事だった。芝居にはおそらく優れた台本と演出家、そして俳優が必要なのだろう。アヌイの戯曲も栗山の演出も見事だった。3年間みっちり研修を受けた研修生たちの演技も文句なかった。
会場は新国立劇場の地下2階のリサイタル室、中央に十字の花道のような舞台が作られている。まるで往来の交差点のようだ。その周囲を40席づつの客席が4カ所に置かれている。幕はない。この通路状の舞台が王の謁見の間になったり、アンチゴーヌの私室になったり、死刑台と墓場になったりする。きわめてシンプルな舞台だ。
オイディプスの末娘アンチゴーヌの兄二人は、父亡きあと交替で王位につくはずだったが、王位を争い二人とも決闘で倒れて死ぬ。その後王位に就いたオイディプスの弟クレオンは亡くなった兄弟のうちエテオクルを厚くとむらい、ポリニスの遺体は野に曝し誰も埋葬しないよう命令する。命令に背く者があれば死刑にせよと。
アンチゴーヌは夜中に兄ポリニスの遺体に土をかけ、衛兵に捕まってしまう。王の前に引き出されアンチゴーヌとの緊迫した対話が始まる。王は一人息子エモンの婚約者でもある姪のアンチゴーヌを助けたいと思う。アンチゴーヌは王の提案する妥協策に同意することなく死刑を求める。
その最後の生き埋めの刑のとき、アンチゴーヌは怖がる。穴に入れられ土が掛けられる。エモンがいつの間にか穴に入っていて、二人とも死んでしまう。それを知った王妃も自害する。アンチゴーヌが兄の遺体を葬らなければこれらの悲劇は起きなかったのに、と語られる。
しかしアンチゴーヌはその大きな犠牲を払っても、兄を葬るという義務を放棄することはできなかった。ソフォクレスの考える「運命」が見る者に説得力を持って迫ってくる。すばらしい芝居だった。これが無料なのだ……。
ただ、アヌイはこの芝居をフランスがナチスによって占領され、傀儡のヴィシー政権がフランス統治を行っていた時期に書いたのだという。では、アンチゴーヌには、あくまでナチスドイツやヴィシー政権に抵抗していたレジスタンス派を重ねて見るべきなのだろう。
それにしてもアヌイの戯曲は特別だ。アヌイの『ひばり』も高校生の頃読んだが、多少は憶えている。この『ひばり』と美空ひばりを合わせた芝居を清水邦夫が書き、蜷川幸雄が演出して銀座のセゾン劇場で公演することになり、ポスターも貼られ前売り券も発売されて私も購入したことがあったが、その後チケットぴあから電話があって、公演は中止になりました、前売り券は払い戻ししますと言われた。清水邦夫が戯曲を完成できないことになったのだった。もう20年くらい前になるだろうか。この芝居は見たかった。