劇作家の清水邦夫が亡くなった

  劇作家の清水邦夫が亡くなった。84歳だった。早稲田大学文学部演劇科在学中の1958年、戯曲『署名人』でデビュー。岩波映画社を経てフリーに。劇団「青俳」で劇作家として活動していた68年、演出家の蜷川幸雄さんや俳優の蟹江敬三さん、石橋蓮司さんらと劇団「現代人劇場」を設立した。69年、アートシアター新宿文化で、蜷川さんの演出デビューとなった「真情あふるる軽薄さ」が安保闘争真っ盛りの新宿の町と共鳴するなど、60~70年代のアングラ演劇界をリードした(毎日新聞4月17日)。

 

 私は清水邦夫のファンだったので、亡くなったと聞けば残念だ。数年前に書いた清水邦夫についてのブログを再録して追悼とする。

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 高校の時の親友が清水邦夫のファンだった。高校を卒業してしばらく経ってから、彼に勧められて清水の戯曲『狂人なおもて往生をとぐ』を読んだ。よく分からなかった。ついで清水の処女作『署名人』を読んだ。これまたなにが面白いかよく分からなかった。

 初めて清水邦夫の芝居を見たのは1983年の『エレジー』だったか。翌年の『タンゴ・冬の終わりに』には圧倒された。蜷川幸雄の演出だった。みごとな芝居で、私の中で今でもこれがベストだ。その後も『夢去りてオルフェ』『弟よ』『哄笑』『冬の馬』『わが夢に見た青春の友』など清水の追いかけをやった。『弟よ』は坂本竜馬が亡くなったあとの世界を描いてこれまた絶品だった。『哄笑』も良かった。高村光太郎と精神病院へ入った智恵子を主人公にして、迫ってくる戦争の暗い影を描いていた。美空ひばりとアヌイの『ひばり』を合わせた『ひばり』が予告されて前売り券を買ったが、戯曲が完成しなくて切符は払い戻されたこともあった。

 2006年に清水の主催する木冬社の小さなホールを使って、1958年に書かれた処女作『署名人』が上演された。こんなに面白い芝居だったのかと驚いた。私は戯曲を読んで芝居を想像する能力に欠けているようだ。チェホフも芝居ではなく短篇が優れていると思っていた。実際に芝居を見るまでは。

 『署名人』が上演された直後に、ハヤカワ演劇文庫から清水の初期の戯曲集が出版された。『署名人/ぼくらは生まれ変わった木の葉のように/楽屋』という3作が入っていた。相変わらず戯曲を読んでもやはり『ぼくらは〜』も『楽屋』も面白さがよく分からなかった。

 数年前テレビで『楽屋』を見ることができた。本当に面白かった。つくづく私は戯曲が読めないんだと、昔カミさんに指摘されたことを再確認した。

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 ついで15年前に『タンゴ・冬の終わりに』の再演を見た感想。

 

 シアターコクーンで「タンゴ・冬の終わりに」のマチネを見る。当日券を買うために2時間並んだ。前売りは先月発売開始30分で売り切れたのだった。

 清水邦夫・作、蜷川幸雄・演出。22年前1984年の初演は衝撃的だった。台本も演出もいい。蜷川は清水と組むと良さが発揮できる。本当に群衆の動かし方がすばらしい。

 今回、主役の清村盛を演じた堤真一は好演していたが若すぎる。台本の設定も40歳代ではなかったか。口跡もとても良いとは言いかねた。清村のかつての恋人水尾を演じた常磐貴子は良かった。終わってからチラシを見て彼女が常磐貴子だと知った。見る前に名前だけでも知っていたのはこの子だけだった。清村の妻を演じた秋山菜津子も若すぎる。どうしても初演の平幹二朗(清村)や松本典子(妻)と比べてしまう。

 清水邦夫の芝居は、狂気を取り入れて現実と重ね合わせ、微妙なずれを作り出す。その時「夢の時間」が現れる。「タンゴ〜」では二人がタンゴを踊るシーン、一瞬愛が戻ったかと思わせる。「哄笑ー智恵子抄」では智恵子の錯乱が癒えたかにみえて高村光太郎が束の間幻想を味わうシーン。

 「弟よ!」では狂気ではないが、姉やおりょうや友人たちが坂本龍馬の言葉を復唱すると舞台にすでに死んだ龍馬のイメージが立ち現れる。

 学生運動に象徴される新左翼の政治の季節が挫折した後を描いたこの「タンゴ〜」は本当にいい芝居だった。 もしかして、どこかで島尾敏雄の「死の棘」と通底していないか。

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 さて、NHKBSあたりで『タンゴ・冬の終わりに』の初演の舞台を放送してくれないだろうか。ビデオは残っているはずだから。