清水邦夫の小説

 清水邦夫の短篇集「風鳥」(文藝春秋)を読んだ。あまりおもしろくなかった。これはまるで「シノプシス(=粗筋)」ではないかと思ったほどだ。清水邦夫は、佐藤信井上ひさしとともに、私の最も好きな劇作家の一人だ。清水邦夫作、蜷川幸雄演出の「タンゴ、冬の終わりに」は今まで見た芝居で1番だと思っているし、坂本龍馬を描いた「弟よ」も、高村光太郎と智恵子を描いた「哄笑」も忘れがたい芝居だ。
「弟よ」は龍馬が亡くなって数年後、もう明治になっている時代の龍馬の家族や友人たちを描いていた。龍馬はああ言った、こう言ったと皆が龍馬の台詞を口にする。すると亡くなってもういない龍馬がまるで舞台に立ち現れたかのような錯覚が生まれるのだ。もちろん舞台には龍馬も龍馬の亡霊も現れはしない。観客がそのように思い込むのだ。そして主題は明治維新が成立したことによって失われた理想、理念の批判にあったのだ。龍馬の同志たちは政府の高官になったり、商人として成功したりして、最初の理想を失っているのではないかと批判されている。
 その優れた劇作家がなぜ小説では成功しないのか。その疑問は、一流の評論家加藤周一がなぜ小説では成功しなかったのかと似ているように思う。作家の資質と評論や劇作のそれとは違うということなのだろう。いずれにしろ、清水邦夫の「風鳥」は優れた小説とは言いかねた。また清水の芝居を見たいものだ。


風鳥

風鳥