嵐山光三郎「文士の舌」がおもしろい

 嵐山光三郎の「文士の舌」(新潮社)を楽しく読んだ。これは森鴎外から開高健まで24人の文学者を取り上げ、彼らが通った料理屋を取材して紹介している。あわせてその好んだ料理も具体的に示している。嵐山は以前「文人悪食」「文人暴食」という2冊の文学者たちの好んだ料理を紹介する本を作っているが、今回それらの続々編として料理屋に的を絞ったわけだ。読んで楽しい本に仕上がっている。
 森鴎外が好んだのが御徒町に江戸時代からある蕎麦屋の「蓮玉庵」、永井荷風が浅草の洋食屋「アリゾナ」、斎藤茂吉は銀座のうなぎ屋「竹葉亭」、岡本かの子が「駒形どぜう」、檀一雄が新宿の台湾料理「山珍居」、池波正太郎が銀座の「資生堂パーラー」、吉行淳之介が有楽町の広東料理「慶楽」、向田邦子が神宮前の京料理「湖月」、開高健が銀座の「鮨 新太郎」等々。24人が通った24軒の料理屋が作家たちの店にまつわるエピソードとともに具体的に語られる。
 その中からとくに印象的なエピソードを、

 晩年の(斎藤)茂吉は、銀座へ行くとき、上は洋服でも靴をはかず地下足袋であった。(中略)
 ヨーロッパ仕込みだから、服のセンスにはみがきがかかっている。カンカン帽もトレンチコートもよく似合う。茂吉の服装は農民風のモンペ姿でさえダンディで洗練されている。晩年はどこへ行くにも、極楽と名づけた小水用のバケツを持っていた。背広姿でネクタイをしめ、右手にバケツ、左手に傘を持って銀座を闊歩した。悠然たるものである。

 泉鏡花はバイキン恐怖症だったようだ。

 9歳のときに母を天然痘で失ったことから、鏡花はウィルスへの強迫観念から逃れられず、極度のバイ菌嫌悪症であった。魚の刺身を食べられない。シャコ、タコ、マグロ、イワシはゲテ魚として嫌い、ソラマメは一粒食べると一粒ぶん腹が痛くなるといって食べない。
 肉は鳥以外はだめで、春菊は、茎の穴に斑猫(はんみょう)という毒虫が卵を産みつけると信じて生涯口にしなかった。(中略)茶はほうじ茶をぐらぐらと煮て、塩を入れて飲んだ。木村屋のアンぬきアンパンは、表も裏もあぶって、指でつまんだ部分を捨てた。

 鏡花が春菊の茎に斑猫の卵が産みつけられていると信じていたのは間違いだが、キクスイカミキリというカミキリムシの一種は、キクの仲間の茎に卵を産み幼虫が茎の中で成長してカミキリムシになる。これと斑猫をごっちゃにしていたのだろう。ツチハンミョウやマメハンミョウには毒があるが、キクの仲間に産卵することはない。
 細菌学を学んだ鴎外も生ものを嫌い、野菜も果物も煮て食べたとは「文人悪食」にあった。「鴎外の好物は饅頭茶漬であった。ごはんの上にアンコ入りの饅頭を割ってのせ、煎茶をかけて食べた」という。
 嵐山光三郎の「文士の舌」「文人悪食」「文人暴食」いずれも面白い読み物に仕上がっている。一読をお薦めする。

文士の舌

文士の舌

文人悪食 (新潮文庫)

文人悪食 (新潮文庫)

文人暴食 (新潮文庫)

文人暴食 (新潮文庫)