今村昌平『遙かなる日本人』を読んで

 今村昌平『遙かなる日本人』(岩波同時代ライブラリー)を読む。映画監督今村昌平の自伝かと思ったら、あちこちに書いたものをまとめたエッセイ集だった。映画監督になる過程を素描したものもあり、東南アジアに連れて行かれて売春をさせられた「からゆきさん」を追いかけたレポートや、映画制作の舞台裏を描いたものなどだ。なかなかおもしろかった。
 いくつか印象に残ったエピソードがあった。
 マレーシアにからゆきさんを訪ねる。紹介された元からゆきさんのF女と会う。

 マレー式西洋館の内庭、風の通る涼しい木蔭にベンチを出して、その上に大の字に寝ている小山のような婆さんがF女であった。ヨレヨレのスカートから、LLサイズのズロースまる出しにしてゴウゴウと嚊(いびき)をかいている。(中略)
 小汚いがバカうまい中華料理屋で、二人合わせて8人前ほど食ったのだが、彼女はそのうち5人前は確実にこなした。

 その後、中国人の女二人を交え麻雀をする。「私」が大勝ち、中国人二人は少し敗け、F女は大敗けした。

 F女と私は連れ立って店を出、私が近くのホテルに向って歩き出すとF女はいつまでもついて来て、ついに私の部屋に侵入して来る。
 「金払わんで悪いねえ、今持っとらんもんで」
 「いいんですよ、そんなこと、遊びなんだから」
 「いいや、バクチの金はきちんとせないけんのよ」
と言いながらLLズロースむき出してベッドにドカンと80キロの巨体を横たえ、「若けりゃ身体で払うても良いばってん」と真顔で酒臭い息、金歯から吹き出す。
 あまりのことに私もオタつき、若しかしたらこのばばあ、わざと負けたんじゃなかろうかなどと邪推し、疲れてるし、スタッフと打ち合わせがなどと言い訳しながら、椅子に腰かける。私45歳、F女60歳、15の差がある。
 昔学生時代、15歳年上の人妻と関係し、のっぴきならなくなり、亭主に出刃包丁持って追われ、裸で2キロ走って危うく一命をとりとめたことなど想い出し、あの人も今は60歳、当時守備範囲広いことで売っていた私だが、今となってはサマにもならない。

 15歳上というのはまだ経験してないのでよくは分からない世界だが、私にとって80歳前後の女性にあたると思えば、うむ、少しだけだが、怖いものがあるかもしれない。いや、おばあちゃんは好きなんだが。
 以前このブログで74歳で現役の娼婦のことを書いている本を紹介したことがあった。
平凡な顔に完璧な肉体美が強く魅惑する?(2010年2月26日)
 また、「未帰還兵を追って」というTVドキュメンタリーの取材でマレーシアに行ったとき、元日本兵の矢野さんに会う。矢野さんは熱心なイスラム教徒になっていた。今村が「メッカ詣でをしたい?」と聞くと、

矢野「はあ、そうでやんす。私はイスラムのね、回教の本を15年程前に勉強したんですよ、何といいますか、この世界、宇宙ですか、宇宙があのう、無くなるというんですわ、それマレー語でアラマキヤマというんですよ」
今村「はあ」
矢野「いい人は皆死にます。そいで残るのは−−ああ回教徒でない人ですね。そういう人がこの世界に残ります。それでこの世の中がね、非常に発展しますわ、あ、それから、風紀も非常に悪くなります。もう10年位たちますと、女の人は裸で歩くようになります。はい、それでもう男はね、殆んど死にます。何故かというともう喧嘩とか戦争とか何とかで、もう殆んど男は死んでですね、男は非常に少なくなる。はあ、そういう風に将来はなります」

 これが1971年だったから、1980年ころから「女の人は裸で歩くようにな」っているわけだ。そうとも言えるし、そうでないとも言えるだろう。
 ついで佐木隆三の小説『復讐するは我にあり』の映画化を巡ってのエピソード。

 この夏(1978年)から、久し振りに映画を撮ろうかと今、脚本を書いているのだが、原作者の佐木隆三氏に、先だって1年ぶりに会った。40そこそこだろうが、ずっと若く見える体格の良い人だ。2年前、原作の映画化権を取得するについて少々ごたごたがあり、佐木氏も私も嫌な目に遭ったことがある。その最中だったと思うが、銀座から新宿に向うタクシーの中で「今村さん、ちょっとこれを預かって下さい」と、いきなり外した眼鏡を渡して寄越した。何事かと驚くと、これから行くバーに、今度の揉めごとについての仕掛け人が居るはずです。私は断固、奴を殴りますが、向うも黙っちゃいないでしょう、乱闘になれば眼鏡は邪魔ですからという。眉尻のつり上がった彼の横顔は、ケンカの大好きな若者のようであった。(中略)
 そのバーには、アングラ芸術家という感じの男女多数の客が居り、突入した佐木氏の知り合いも居るらしく、やあやあと挨拶があったが、目指す仕掛け人は居なかったようで、何事も起きなかった。

 この時殴ってやろうとした仕掛け人は、おそらく内田栄一だろう。アングラ演劇の劇団を主宰していた。『吠え王オホーツク』などの作品があり、当時私も彼の芝居をいくつか見ていた。その舞台の前後で内田が、いま『復讐するは我にあり』の映画化権を巡って佐木隆三と争っていると言っていた。何でも佐木は内田に映画化権を与えると言っていたのに、他のやつに渡そうとしているから、抗議をしているのだと言う。
 いや、小さな小さな劇団をやっと維持している内田に映画化権を渡すというのは、常識的にありえないだろうと、その時考えたことを憶えている。内田のライバルは今村昌平だったのだ。
 ちょうど、池袋の新文芸座で「今村昌平7回忌追悼」と題する特集上映が始まった(5月23日〜6月1日)。さっそく『にっぽん昆虫記』を見てきた。1963年の日活作品だ。そのちらしから、

脚本:長谷部慶次今村昌平
出演:左幸子、吉村実子、小沢昭一長門裕之北村和夫
★ベルリン映画祭女優賞 ★キネ旬1位
貧農の娘の奔放な生命力を重喜劇で描き日本映画史上かつてない女性像を打ち立てた今平の代表作。昆虫の歩く姿を捉えた冒頭シーンも有名。

 見終わってちょっと暗くなってしまった。『神々の深き欲望』だけは見てみたいが、これが上映される26日(土)の夜は鴎座の芝居を予約しているのだ。残念。


遥かなる日本人 (同時代ライブラリー (259))

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