意外に不潔な作家たち

 作家ってお洒落でダンディーだと思われがちだが、意外にも汚い不潔っぽい作家たちもいるらしい。丸谷才一対談集『文学ときどき酒』(中公文庫)に、対談相手の里見とんが島崎藤村について「髪はボウボウで、フケが肩にいっぱいでね」と語っている。

里見  (有島生馬が島崎と)手紙をやり取りしていたらしくて、小諸へ行って先生にお目にかかるというわけだ。帰ってきて話を聞くと、味噌汁とおこうこっきゃ出さなかったとかね(笑)。
 それから間もなく生馬は西洋へ行っちゃって、島崎さんは『破戒』の書きかけ原稿持って東京へ出てきて、西大久保に借家していたわけね。そしたら生馬んとこから、絵の複製を送ってよこして、これこれはぼくらにやるとか、これこれは島崎先生に届けてくれってのが来たんだよ。それで行ってみると、農家だろうなあ、茅ぶきの家だったよ。玄関でだいぶ待たされて、出てきたんだけど、髪はボウボウで、フケが肩にいっぱいでね、黒い木綿の羽織着てるんだけど、払ったらよさそうなもんだのに。

 ドナルド・キーンも『私の大事な場所』(中公文庫)で永井荷風について「薄汚い老人そのものだった」と書いている。

 日本にいる外国人は日本人が自分たちをあまり家に招かないとよく言う。私は幸運にも多くの作家から自宅へ招かれた。一番忘れ難いのは、永井荷風の家だ。(中央公論の)嶋中さんが荷風に会う時に私を同伴したのである。市川に向かい、狭まった道路を歩くと表札もなく目立たないお宅に着く。私たちは女中らしい人に案内されて中へ通された。日本人はよく「家は汚いですが」と謙遜しても実は大変清潔であるが、荷風の部屋は腰を下ろすと埃が舞い立った。荷風は間もなく現れたが、前歯は抜け、ズボンのボタンも外れたままの薄汚い老人そのものだった。ところが話し出した日本語の美しさは驚嘆するほどで、感激の余り家の汚さなど忘れてしまった。こんな綺麗な日本語を話せたらどれほど仕合わせだろうと思った。

 さらに嵐山光三郎芥川龍之介について『追悼の達人』(新潮文庫)で、「じつにきたない手をしていた」と中野重治を引用して書いている。

 芥川は、写真を撮られるとき、ポーズをとって構えるのが常であったし、ハラリとたれさがる長髪も近代的文士スタイルとして、のちの文学青年に影響を与えた。あの知性的な風貌は、女流作家たちにも羨望の的で、岡本かの子は「長髪隆鼻の人」にして「好少壮紳士」、三宅やす子は「氏は大勢の女の人から渇仰されていた」、宇野千代は、レストランで働いていたとき、店へ客として入ってきた芥川を見て「私はただ芥川龍之介という名前だけを知っていました。その名前は霞のように立昇り、そこに座っている者の上にもたなびくように見えました。私の肩もまた、その霞に染るように思えた」と追想している。銀幕スターのような人気だった。しかし、実際の芥川は、風呂嫌いのため垢だらけで近よるとにおったという。そのことは、中野重治が、追悼文「ふるい人やさしい人」のなかで、「この人は湯になどはいらぬのか、じつにきたない手をしていた。顔なども洗わなかったのかもしれない。その手が、顔同様、もともとは美しい手なのだったから、よごれ加減がいっそう目立って私には不思議だった。わりに大きな手で、頑丈なつくりではなかったが、指の節が長く、指の皮膚も甲の皮膚も皺(しわ)がよっていて、大小のその皺に黒くなって垢がたまっていた。色の白い人だから、手の皮膚もすっかり白くて、だから指の背も甲も一面にうすずみ色に見えていて、皺のところは言葉どおりに黒い筋になっていた」と証言している。

 島崎藤村永井荷風芥川龍之介も印象が変わってしまいそうだ。


文学ときどき酒 - 丸谷才一対談集 (中公文庫)

文学ときどき酒 - 丸谷才一対談集 (中公文庫)

追悼の達人 (中公文庫)

追悼の達人 (中公文庫)