『米原万里ベストエッセイII』を読む

 先日の『米原万里ベストエッセイI』に続けて、『米原万里ベストエッセイII』(角川文庫)を読む。Iほどではないが、IIもやはり面白い。
 米原は優れたロシア語の同時通訳者だった。では凡庸な同時通訳はどんなことを訳しているのか。旧ソ連コーカサスあたりには100歳以上の長寿者がウヨウヨいる長寿村がある。ある時、その長寿村に関するシンポジウムが開かれた。壇上にいるコーカサスからやってきた長寿学者に対して、いろいろ質問が出た。

質問1  長寿者の食生活はどうなっているのでしょうか。
回答  (ロシア語で)蛋白質、灰分、繊維、ビタミン、ミネラル、炭水化物は豊富に摂取しますが、動物性脂肪はほとんどとりません。
通訳  長寿者のみなさんはたっぷりと栄養をとっております。
質問2  では長寿者のみなさんは普段どんな生活、どんな仕事をしておられるんでしょうか。
回答  (ロシア語で)長寿者は主に、ブドウやナシ、アンズなどの果樹栽培、羊や山羊などの牧畜に従事しております。
通訳  はい、長寿者のみなさんは、毎日元気に働いております。


 この時の通訳者は、いかにも自信たっぷりに堂々と、うっとりするほどよく通る美しい声で訳すものだから、当日会場に居合わせたロシア語を解さぬ大多数の聴衆は、まさか通訳のところで大切な情報が濾過されているとは露ほども疑わなかったのではないだろうか。そして、コーカサスの長寿学ってのは、ずいぶんアバウトでのどかなものだなんて感想を持ったのではないかしら。

 日本女性がブルガリアのバルナという保養地に一人で観光に行った。バルナへ行く観光バスの中はイランからやってきた男たちでいっぱいだった。彼らは彼女に対して度を超すほど礼儀正しく丁寧だったが、いつも彼らからの強烈な眼差しを感じ続けて居心地が悪かった。ホテルへ着いてシャワーを浴び、バルコニーへ出ると目の前に昼下がりの海水浴場が広がっている。視線を横に走らせると、横のバルコニーの一つ一つにバス・ツアーの男たちが陣取り、食い入るように水着姿の女たちを見つめていた。
 彼らは戒律の厳しいシーア派で、シーア派を国教とするイランでは女は夫以外の男の前では肌はおろか、顔をさらすことさえも禁じられている。このバス・ツアーは「水着女を見に行く」企画だったのだ。
 これを受けて米原は書く。

……供給が過剰で、いつでも手に入るものの価値を人間はなかなか認めたがらない。これは、ヌーディスト・クラブの海水浴場で勃起している男はいないものだという現象を考えてもそうだ。そのうちヘアー写真集なんてのも同じ運命をたどりそうである。

 このエッセイが書かれたのが20年前の1995年だった。予言通りにヘアーはいま単なる「毛」に落ちぶれている。
 また「イチジクの葉っぱはなぜ落ちないか」という章でも、アダムとイブのイチジクの葉についてなかなか深い考察がされている。これも大変楽しかった。
 やっぱり米原万里さん、10年前に亡くなちゃったのは早すぎたと思う。