山極寿一・小川洋子『ゴリラの森、言葉の海』(新潮文庫)を読む。ゴリラ研究者の山極と、『博士の愛した数式』の作家小川の対談集。これがとても良かった。小川は河合隼雄との対談『生きるとは、自分の物語をつくうること』(新潮文庫)も良かった。優れた聞き手で話を導き出すのが上手いのだろう。
興味深い話が次々と語られる。
山極 (……)1982年かな、ゴリラと別れて人間の世界に下りてきたときに、人間がとてもつまらなく見えました。人間の身体そのものが不格好に見えるんですよ。しかも、あたりをキョロキョロと見まわして視線が定まらない。人間って、なんて小さな、嫌な動物なんだろうと思いましたね。
このエピソードは米原万里を思い出す。米原は父の赴任に伴って、9歳から14歳までチェコのプラハにあるロシア語学校に通っていた。帰国してテレビで吉永小百合を見て、なんてみっともない顔をしているんだと驚いた。前歯が大きくてネズミみたいとも。それが数年したら、なんてきれいな人! に変わったと書いている。
山極 サルもゴリラもチンパンジーも、そして人間もみんなそうなんですが、生物学的に子どもだとしても、自分には見分けられないんです。
小川 たしかに、見ただけでは分かりません。
山極 見分けられる動物はたくさんいます。ウズラは羽の柄で、カエルは匂いで見分ける。生まれつき、どれが自分の子か分かるんです。でも、サルや類人猿と人間は分からない。だから生まれた後の経験が親子関係を作る。そして、その経験が性的な関係を抑制するんですよ。
小川 近親相姦を防ぐということですね。
山極 親子愛というのは性的なものを払拭したところにしか成立しません。
小川 なるほど。おしめを替えたり夜泣きに悩まされたりしながら後天的に親子愛を育てている間に、自然と性的な芽が摘まれてしまう。
山極 だから、生物学的な血縁関係はなくても、親子関係は作ることができます。逆に言えば、生物学的な関係があっても、育てるという経験がないと、性的な関係が生じてしまうこともありえる。
山極 これは僕の想像なんだけど、女の子のほうはパートナーを見つけるためにまず女の身体になるんじゃないかな。
小川 見た目でアピールということですか。
山極 そう。相手の男に、自分と将来生まれる子どもを守ってもらわなきゃいけないわけだから、信頼関係を築いて繋ぎ止める必要がある。そのための資本として女の身体があるんじゃないだろうか。でも、そこで産んでしまうと、本当に男が守ってくれるかは分からないから、まだ出産はしない。
小川 お試し期間ですか。まず身体を見せておいて(笑)。男を引き付けておいて、これでいいと確認したら産むわけですね。
山極 遊牧民とかは環境が厳しいからまた違うけど、農耕社会や狩猟社会では、この年代(思春期)はフリーセックスが多いんですよ。女の子は割りにいろんな男と性交します。妊娠しないから。そして結婚すると身持ちが堅くなるんです。
小川 男も相手がまだ子どもだってわかっているんですね。
山極 ええ、でも身体は女ですから、十分性欲をそそられる。しかし同じ年代の男というのは、女から相手にされないんですよ。
小川 ひょろひょろですからね。
山極 子どもを産ませることはできるのに、身体は大人じゃないから。
小川 たまたま深沢七郎の『みちのくの人形たち』を読んでいたら、その東北の村では、屏風を立てて誰にも見せないようにして産んでいた、というエピソードが出てきます。
山極 そこで殺しちゃうこともあるんでしょ。
小川 おっしゃるとおりです。その時は屏風を逆さにしておくのが合図。産声を上げる前なら殺したことにならないというのが、村の暗黙の了解です。昔は生と死のとらえ方がそういうものだったのでしょうね。
山極 それも人間が多産だということに端を発しているんです。
ゴリラの子殺しをするオスについて、
小川 その現場を目撃する山極さんは、辛くないですか。それまでずっと付き合ってきたオスがそういうことをするのですから。
山極 そうなんですがね。でも、自然界の中では、生と死はとてもあっさりと切り替えられるものなんですよ。人間のように生にあまりこだわらない。
死を特別なものとしてしまったことが、人間の世界観を変えましたね。だからこそ、未来という考えができた。未来というのは自分が死ぬまで、あるいは死後のことでしょう。そういう死を基本としたものの考え方は、人間にしかできません。
いや、とても面白かった。他者(ゴリラ)を見ることで人間の特殊性が浮き彫りになる。