零∞の渡邊瑠璃展「くうどうのもつものがたり」が興味深い


 東京銀座のギャラリー零∞(ゼロハチ)で渡邊瑠璃展が開かれている(8月27日まで)。渡邊は1989年、福岡県生まれ。2013年に武蔵野美術大学造形学部油絵学科を卒業している。今回が初個展となる。
 ギャラリーに入ると真ん中に草で編んだ大きな立体が壁に設置されている。作家のコメントを読む。

ひとは、山にも土にも海にも空気にもなり得る。/幼い頃、この身体はいつか、この空気の粒子に融けてゆく、という予感に近い感覚があった。そこには、山から香る土の匂いがあった。/私は、言葉になる前の未分化の感覚を形にしようと試みる。/そして、作ることで自分に、世界につなげてゆく、考える。/全てのいきもの、カタチをもつもの、の空洞性、皮膚感を考える。/空洞がたたえるもの、あるいはその中に棲むもの、を考える。/見えるのはそのものの表層だけだが、中に在るものを感じることはできる、想像することはできる。/空洞のなかに、在るものも。

 壁に取り付けられた大きな立体は、故郷福岡で採集した草を編んだもの。筵(むしろ)というか茣蓙(ござ)に近い構造で、それを40枚以上繋いで大きな幕状にしたものを壁に掛けている。下辺を見ると縦の楕円形に近い穴が開いている。これは女性器に見えるけどと言うと、ええ、眼でも口でもあるとの答え。ほかにイヴ・クラインのように身体に絵の具を塗ってキャンバスに転写した作品、同じ様な転写にドローイングしたタブロー、土偶のような素焼きも展示されている。






 一見、性的なものへの強いこだわりかと思ったが、テキストと併せ考えれば、これらは渡邊の人間の身体そのものへの深い関心なのだろう。渡邊は表層にこだわる。表現を徹底的に表層に集中する。大きな幕状の草の立体然り、転写した身体の作品然り、中が空洞の土偶作品然り。身体の表層の中を渡邊は「空洞」と言っている。その空洞の中に在るものを感じて、想像することができる、と言っている。それは何か。
 それは何か。自分の、いきものの、内部にあるもの。それが世界につながっている。身体を構成する物質を通じて世界につながっている。生命というものの根源的なかたち、ということだろうか。渡邊は哲学的な生命観を感覚的に捉え、それを立体作品で表現しようとしているように見える。なるほど、草で編まれた筵(むしろ)のような幕の中に、空洞のように生命が存在しているのか。物質というかたちで世界に通底していると言うのか。昔読んだル・クレジオの『物質的恍惚』(新潮社)を思い出した。美術作品がこんな風に哲学を表現できるのか。
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渡邊瑠璃展「くうどうのもつものがたり」
2013年8月22日(木)−8月27日(火)
12:00−19:00(日曜18:00、最終日17:00まで)会期中無休
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零∞(ゼロハチ)
東京都中央区銀座2-2-18 西欧ビル8F
http://zerohachi.net
※有楽橋交差点近くの1階にスパンアートギャラリーが入っているビル


物質的恍惚 (岩波文庫)

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