大小同時の日本人。別々のアメリカ人と猫

 室内飼いをしているネコが部屋の隅のネコ用トイレでオシッコをした。その後いったんトイレを出て、1分もしない内にまたトイレへ入り今度はウンチをした。ネコって大小別々にするんだと気がついた。もっともこれが普遍的な現象なのか、よそのネコのことを詳しく知らないので断言はできないが。
 それで思い出したのが、ミッキー安川の『ふうらい坊留学記』だった。ミッキーは戦後すぐの1952年、ろくに英語も話せないのに単身でアメリカ、それも南部アメリカへ留学する。戦後のことで反日感情も強く、突然ナイフで刺されたり、喧嘩相手を寮の3階から投げ落としたりするなど、冒険の数々が語られる。その中にアメリカ人と日本人のトイレの使い方の違いが書かれていた。

 朝起きるとシャワーを浴びて、それから食堂へ行く前にいつも便所へ行く。早く行かないと満員になることが多い。便所はだだっ広く、便器が20個、横1列に並び、仕切がないから見通しがいい。隣りに座って用をたしているものと話もできるわけ。(中略)
「ミッキー、毎朝腹でも痛いのか?」
 前に座っているバスケットの選手が聞いた。
「なぜだい」
「だってウーンとたいそう息張るじゃないか」
「だれだってたいがいは、やさしくしていられないものさ。くそするときはね」
「そりゃそうとミッキー、きみは大便の前に小便をしねえのか」
 彼はふしぎそうに尋ねた。そういえば彼らはかならずまえに小便をすませて、次に大きいのに取りかかっている。それにそういえば、この大ホールの数多い便器の上では、だれもぼくみたいに息張っているやつはいない。
「おれは大小合わせていっしょにするから、これでいいのさ」
 ぼくは大声で宣言するように言った。するとまわりの方で、
「バカな。そんなことは不可能だ」
「馬でもできないよ」
 と口々にどなり出した。するとジョーが眠そうな眼ではいってきたが、これを聞いてぼくの前に立った。
「大小いっしょにできるってホラを吹いているようだが、やってみろよ」
「よし、やってやろう。だが賭けるか」
 これは金儲けになるぞ。しめしめとぼくは心中でつぶやいた。ジョーは急にいきいきした表情になって、まわりの連中から金をかき集め、コカコーラの箱の上に、30ドル近くの有り金を、ドサリと置いた。
「ミッキー、おれはこれ以外にテレビの出演料だ。きみは何を賭けるんだ。きみが金を持っていないことは知ってるぜ」
「よし、裸で校庭を歩いてやらあ」
 ぼくは40人近い学生の前で便器をまたぎ、現物がよく見えるよう中腰に加減しながらウーッ、ジャー、ボタンボタンと鮮やかに済ませ、そのまま拭きもしないで目の前の30ドルの山を鷲掴みにすると、便所から飛びだして逃げた。

 アメリカ人の方が原始的で動物に近いのだろうか。日本人の方が進化しているのだろうか。朝鮮人や中国人、インド人やアフリカ人はどうなのだろう? 文化人類学のテーマとして、すでに誰か「国際的に見た排便時の同時性」とかいう論文が書かれているかもしれない。
 本書を初めて読んだのは、もう30年以上になるが、この部分が一番強烈に印象に残っていた。人前でウンチをしたということがショックだったのだ。