大岡昇平『成城だより』(中公文庫)を読んでいると、表題の言葉があった。
伊藤堅吉編著『河口湖周辺の伝説と民俗』(緑星社)から引用している。
なお浅川には姥捨伝説あり。60歳以上の老人は、進んで山へ行くという。深沢氏の『楢山節考』を想起す。
婚姻風俗については、後家と娘は若衆全体の所有なり、とあり。嫁という労働力として占有するためには、大盤振舞をせざるべからず、山林を売り、借金をし、身代を細くする者あり、という。
それで思い出したのは、山極寿一・小川洋子『ゴリラの森、言葉の海』(新潮文庫)で紹介されているエピソード。
山極 これは僕の想像なんだけど、女の子のほうはパートナーを見つけるためにまず女の身体になるんじゃないかな。
小川 見た目でアピールということですか。
山極 そう。相手の男に、自分と将来生まれる子どもを守ってもらわなきゃいけないわけだから、信頼関係を築いて繋ぎ止める必要がある。そのための資本として女の身体があるんじゃないだろうか。でも、そこで産んでしまうと、本当に男が守ってくれるかは分からないから、まだ出産はしない。
小川 お試し期間ですか。まず身体を見せておいて(笑)。男を引き付けておいて、これでいいと確認したら産むわけですね。
山極 遊牧民とかは環境が厳しいからまた違うけど、農耕社会や狩猟社会では、この年代(思春期)はフリーセックスが多いんですよ。女の子は割りにいろんな男と性交します。妊娠しないから。そして結婚すると身持ちが堅くなるんです。
小川 男も相手がまだ子どもだってわかっているんですね。
山極 ええ、でも身体は女ですから、十分性欲をそそられる。しかし同じ年代の男というのは、女から相手にされないんですよ。
小川 ひょろひょろですからね。
山極 子どもを産ませることはできるのに、身体は大人じゃないから。
これは合理的だと思う。男の子は女から相手にされないけど、若いうちは自分でしていればいいのだから問題ないだろう。
吉行淳之介『やわらかい話2』(講談社文芸文庫)という対談集に紹介されているエピソード。吉行淳之介が画家の東郷青児と対談している。
吉行 17、8年前に小説集を出されましたね。『半未亡人』。あのなかの女の競売(セリ)の話はフィクションですか。
東郷 ほとんどフィクションだけど、ああいった不道徳な反倫理的な生活を、ぼくはフランスでうんと見ているんだ。いまの人にはふつうのことかもしれないけれど、当時の日本人の感覚では、相当強い刺激だった。
吉行 しかし、あれはきれいだった。ああいう情景は、見るだけで、参加されなかったのですか。
東郷 貧乏学生だったから、ヨダレたらして見てるだけ。でも、そういう生活を「悪」だとは思わなかった。そういう生活にあこがれていた。たとえば、日本でなら、女の子が結婚すると、まあ貞操堅固になるでしょう。ところが、当時のフランスの女は「もうじき結婚するから、そしたらいうことをきく。いまは、結婚前だからできない」……日本と反対なんだ。
吉行 日本だと「もうじきお嫁に行くから、その前に……」という考えですね。どういうことなんだろう。
東郷 人妻が浮気をするってことは、フランスの社会では一種の常識みたいになっていて、しない女のほうが病気みたいに思われるんじゃないかな(笑)。男のほうも割り切っていて、たとえ自分の女房でも独占することはできないという諦観をもっている。
これらを総合すると、性に関する道徳は時代と地域による相対的なものでしかないことが分かる。
私はすでに現役引退した身だから自由に云々(でんでん)できるのだが。
昔ちょっとだけ付き合った未亡人が、夫を亡くしてからの12年間を、私損しちゃったわと言っていたのを思い出す。