阿部知二『冬の宿』を読む

 阿部知二『冬の宿』(小学館P+Dブックス)を読む。P+Dブックスというのは、ペーパーバックスとデジタルの略称で、「後世に受け継がれるべき名作でありながら、現在入手困難となっている作品を、B6判ペーパーバック書籍と電子書籍を、同時かつ同価格で発売・発信する、小学館のまったく新しいスタイルのブックレーベル」とのこと。文庫本よりずっと大きく、本体価格650円と安価、コスト削減のためか並製本で解説等はない。

 本書を荒川洋治毎日新聞の書評で絶賛していた(2021年11月20日)。書評家として、詩人の荒川洋治、文芸評論家の斎藤美奈子宇宙論・地球系外惑星の専門家須藤靖を私は絶対的に信頼している。荒川の書評から、

 

 昭和・戦前期の傑出した作品であり、昭和期全体を見渡してもこれを超えるものはない。(中略)

 「私の記憶はみな何かの季節の色に染まっている」。以下のできごとは「暗く冷却した冬の色」だと記す。卒業間近の大学生「私」は、社会運動へ進む学友たちになじめず、郊外の素人下宿を見つけて、住む。家主は、霧島嘉門。霧島家での秋から春の半年間を回想。人々の心理と倫理をくまなく照らす。

 霧島家は、夫婦と小学生の子二人。嘉門は海坊主みたいな巨漢で粗暴だが、子供みたいにわんわん泣くときもある。旧家の出だが、放蕩を重ね、零落。

 

 妻まつ子は狂信的なクリスチャンで夫婦喧嘩が絶えない。

 

 左翼くずれの朝鮮の青年医師、高(こう)が隣の部屋に入った。(……)彼は朝鮮の人のために施療病院で奉仕。やがて姿を消すが、深い印象を残す。当時の朝鮮の人の心がどんな状態にあったか。それを伝える名作は「冬の宿」以前にはない。金史良『光の中に』(1940)の4年前に「冬の旅」は書かれた。この小説の厚み、領域の広さを感じる。嘉門は失職、一家は破滅。夫婦は、わずかな家財を荷車に乗せて引っ越す。見送る「私」。坂を下る二人。昭和期屈指の名場面だ。

 

 原節子主演で映画化もされた戦前のベストセラー作品だという。原節子がまつ子を演じるのはミスキャストではなかったか。まつ子は医者が「あんなに毀れた体というものは初めてですよ」と言ったくらいの、病人でも不思議はないくらいの不健康そうな女性だ。原節子はミス健康と言ってもいいような大柄の女優ではないか。

 さて、荒川洋治絶賛のこの小説が私にはあまり評価できなかった。零落した家族、民族差別を初めて書いた、というような世界を今まで私が読んでこなかったというようなことかもしれない。所詮私は平均以下の小説読みでしかないのかもしれない。荒川が絶賛するのなら、名作なのだろう。