朝日新聞の人生相談欄「悩みのるつぼ」に70代の女性が相談を寄せた(2014年7月5日)。タイトルが「こんな年で恥ずかしながら」となっている。回答者は経済学者の金子勝。
70歳に足を踏み入れた女性です。5年前に夫に先立たれて一人暮らし。2人の息子も家庭を持ち、孫もいます。貞淑な妻としてご近所づきあいも円満、友達にも恵まれてきました。
半年ぐらい前、趣味の集まりで会った同世代の男性と茶飲み友達程度のおつきあいをしてきました。相手の方も伴侶をなくされ、一人暮らしです。お互い住所も知らず、もっぱらメールか電話でのやりとりで、よくお花をめでたり、里山へ行ったり、都会の雑踏にまぎれて文化行事の鑑賞をしたり、食事やお茶をしてきました。
そのうち、帰りにホテルに誘われるようになり、おはずかしいんですが、お互いにいい年をして、最高な満足まで至らなくても、とても幸せな気持ちで相性もいいと思っております。
月に1、2回でも会うと帰りは必ずそこへ寄るようになってきました。もちろん誰にも話せません。1人でいるととても彼に会いたくなりますが、その反面、とても悪いことをしていると自責の念にかられます。
いつか誰かにバレてしまいそうな不安と、何よりもこの年齢でこんなことを続けておかしいんじゃないか……と。
相手の方からプレゼントをされたり、一泊旅行に連れていって頂いたりもします。こうなると、お断りすることが出来なくなるのではと日夜心配です。このままでいいのでしょうか。
相談の全文を引用した。回答者の金子勝は真面目な常識人なので、この恋愛を肯定し、「何はばかることなく、現在の恋愛関係を楽しまれてはいかがでしょう」とアドバイスしている。その回答に異議を挟むつもりは毛頭ない。ただ、車谷長吉だったら何と答えただろうと思うのだ。以前、この欄を担当していた車谷は、教え子の女子高生を好きになって困っていると相談してきた先生に、彼が家庭を持っているにもかかわらず、好きになった女生徒とできてしまえばいいと回答していた。その時の車谷の回答の一部を紹介する。
(前略)世の多くの人は、自分の生はこの世に誕生した時に始まったと考えていますが、実はそうではありません。生が破綻した時に、はじめて人生が始まるのです。従って破綻なく一生を終える人は、せっかく人間に生まれてきながら、人生の本当の味わいを知らずに終わってしまいます。気の毒なことです。
あなたは自分の生が破綻することを恐れていらっしゃるのです。破綻して、職業も名誉も家庭も失った時、はじめて人間とは何かということが見えるのです。あなたは高校の教師だそうですが、好きになった女性と出来てしまえば、それでよいのです。そうすると、はじめて人間の生とは何かということが見え、この世の本当の姿が見えるのです。(後略)
・車谷長吉の危ない身の上相談(2009年6月14日)
この70代の女性の相談で「里山へ行ったり」とあるのがちょっと気になった。里山という言葉ををこんな風に使うのか。もう日常用語に組み込まれているんだ。
もう一つ「最高な満足まで至らなくても、とても幸せな気持ちで相性もいい」とは何を意味しているのだろう。彼の方に問題がないわけではないことを婉曲に言っているのだろうか。
友人のI君のお兄さんは、相談者が付き合っている彼とほぼ同年代だが、豪傑のI君に輪をかけてタフだということだ。I君のお兄さんが「彼」だったら、最高な満足を得ていますと書いただろうか。
団鬼六は『最後の愛人』で70歳のときに会ったキャバクラ嬢を愛人にした体験を書いている。「作家はもう性的に不能で抱くことができない。それを試みることもしない。プラトニックな関係のまま銀座のクラブや新宿の飲み屋を連れて歩いている」という状態だった。それが普通なのだろう。
・団鬼六「最後の愛人」を読む(2007年12月14日)
彼女が一番気を使わなくてはならないのが、実は岡本かの子の事例だろう。岡本かの子は49歳のとき、夫の岡本一平に隠れて若い大学生と油壺へ遊びに行き旅館で脳溢血で倒れてしまった。かの子は太っていたから血圧も高く、それを一層昂進させる事態だったのだろう。大学生は逃げたが、かの子の行状は夫や世間に明らかになってしまった。
教訓:健康診断は欠かさずに!