嵐山光三郎『文人悪妻』を読む

 嵐山光三郎文人悪妻』(新潮文庫)を読む。同じ著者の『文人悪食』に比べて少々落ちるようだ。無理もない、文人の性癖について書くなら本人が書いた五万という資料があるのに、文人の妻女について書こうと思っても資料が少ないのは当たり前だからだ。それでもなかなかおもしろいエピソードが紹介されていた。
 女性史学者の高群逸枝を紹介する項で、

 いまのリブ女史には、権力志向が強い自我一途の独身おばさんがおります。テレビのバラエティ番組でわめき散らして国会議員となり、やがてバケの皮がはがれて落選し、ほそぼそとタレント活動をするものの、逸枝のような成果はありません。

 これって中山千夏のことだろうか。
 大逆事件大杉栄とともに虐殺された伊藤野枝について、

伊藤野枝は)人気作家の大杉栄に近づき、辻潤と別れて大杉と結婚することになります。
 いまでもこういうタイプの女性はおりますが、男にもてるにはフェロモンが必要で、それなりの力がいります。惚れた男をスパッと見切るのは、女の特権で、捨てられた男は、それまで楽しませてくれたことを感謝しなければいけません。女に見切りをつけられるのはいい男なのです。

「女に見切りをつけられるのはいい男なのです」、俺っていい男なのか!?
 作家徳田秋声と同棲し、晩年、秋声との情痴生活をバクロした小説を書いた山田順子

 順子は、小説家志望でしたので筆がたちます。秋声が死んだので、秋声との性愛と痴態をことこまかに書けば、スキャンダルものとして世間の注目をあびるはずだ、と直感したのです。
 そして『女弟子』という情痴小説を書いて自費出版するのですが、その評判はさんざんで、世間のひんしゅくを買っただけでした。いまでも、有名人の愛人であったバーのママさんが似たような本を書きますね。

 これは吉行淳之介の愛人だった大塚英子のことに違いない。
「夜の文壇博物誌」に書かれた作家たちのゴシップ(2010年12月24日)
 佐多稲子について、

 窪川鶴次郎と別れた佐多稲子を支えたのは中野重治でした。『夏の栞』は、中野重治との長い人間的信頼をつづった男女関係へのレクイエムで、形骸化した夫婦よりも尊敬しあう恋人関係が一番いいという一例です。

 講談社文芸文庫佐多稲子『夏の栞』の解説を書いている山城むつみは、二人の関係は尊敬しあう文学者どうしのもので恋愛ではないという。嵐山は中野重治佐多稲子は「尊敬しあう恋愛関係」にあったと書いている。私も嵐山の意見に与するものだ。
佐多稲子『夏の栞』(2007年1月3日)
 岡本太郎の母親である岡本かの子については、さんざんな書きっぷりだ。

 大地主の長女として生まれた岡本かの子は、わがまま放題に育ち、あまりに不細工な顔であったため、跡見女学校時代は「蛙(かわず)」というニックネームで呼ばれていました。
 谷崎潤一郎は、かの子のことを「白粉デコデコの醜女で、着物の趣味も悪い」とぼろくそに評しています。亀井勝一郎は「十年の甲羅を着た大きい金魚」とけなし「老獪で残忍な神々の一人だ」と酷評しました。亀井勝一郎は晩年のかの子の作品に理解を示し、かの子が恋心を抱いた相手です。日本文壇史上、これ以上問題の多い女流作家はいない、ほれぼれするぐらいの醜女でした。

 しかも、かの子は夫一平と息子太郎とともに恋人の男性二人と、合わせて5人で長年同居していたという。文字どおり一妻多夫だ。
瀬戸内晴美「かの子撩乱」がすばらしい(2010年4月23日)
 有島武郎と心中した波多野秋子、

 軽井沢にある有島家別荘、浄月庵で二人は首つり自殺をして、死体が発見されたのは1か月後で、腐乱した死体が葡萄状にぶらさがっていました。全身が腐乱して、男も女も顔がよくわからない状態で、二人の遺体は行路死者として長倉村の役場に引きわたされました。死体のなかに入っている遺書により、有島武郎と波多野秋子と判明したのです。

 後始末した係の者に同情する。
 こんな風に本書には53人もの「悪妻」が紹介されている。全286ページだから1人あたり5ページ強の分量しかない。


文人悪妻 (新潮文庫)

文人悪妻 (新潮文庫)