井上ひさし・平田オリザ『話し言葉の日本語』を読む

 井上ひさし平田オリザ話し言葉の日本語』(新潮文庫)を読む。二人の劇作家が芝居を巡って対談したもの。いまはない『せりふの時代』という戯曲の専門雑誌に6年間にわたって連載したもの。平田オリザは劇作家であるとともに演出家でもある。芝居の言葉を中心に日本語についても広く話題にしている。とは言え、多く芝居のドラマツルギー=劇作術について大事なことを語っている。
 戦争時の日本人について、「言葉」をもっていなかったと井上が言う。それがシベリア抑留の捕虜の悲劇につながったと。

井上  僕がいまいちばん興味をもっているのは、「満州」問題なんです。ご存知のように1945年8月9日午前零時に、ソ連軍130万の軍隊が「満州」に侵攻してきます。そしてさまざまな悲劇が起こるのですが、じつは、ここに「言葉」の問題があるんですね。当時の日本には、自分たちが危機に陥ったとき、仲間うちを助ける「言葉」はあるんですが、国家とか団結とか敗戦とかを、包括的につかまえる言葉をもたなかった。そのために、代表を出し、難民をどう守るかという交渉をすることができなかった。(中略)
 日本語はもっと力がある言葉だと思うんですね。ほんとうはまだまだ潜在的に力をもっていて、それを使う方法を考えれば、危機だって脱出できるのに、そのように頭が働かないために、つまり言葉をその方向に向けていないせいで、みすみす可能性を失って、悲劇にいたったのではないかと思ったりもするんです。ですから演劇を通して、強く、しなやかな日本語を模索する。そうすると、「何を書くか」が自然に生まれてくると思っています。

井上  満州問題を考えていくと、すぐにシベリア抑留という問題につながってきます。これもまた、言葉の問題が含まれているんですね。いちばんいい例で言いますと、日本人の関東軍の捕虜とドイツ人の捕虜が一緒に住んでいる収容所がシベリアにあったんです。両国とも戦争には負けているんですけど、ドイツ軍の捕虜には、祖国から慰問品は届く、手紙もたくさん来るんですが、日本軍の捕虜には何も来ない。これはどうしてかというと、ドイツ人は捕虜になったときの「言葉」をもっていたからなんです。国際法を知っていたし、たとえ戦争で負けても、捕虜にはこれだけの権利があるとか、中立国を通して訴えていくとか、世界に通用する言葉をもっていた。ところが、日本は負けたことによって、言葉まで失ってしまったんです。ふだんから、そうしたことを想定していませんでしたから、捕虜になっても旧軍隊組織のままで、中隊長に従卒がついていたりする。
 つまり、当時の日本人たちは連合国側と交渉しようという意図もなければ、言葉も知らない。つまり、自立していないんです。(後略)

 さて、井上は日本語が戦後ピジン英語化し、いまはほとんどクレオールになったと言う。

井上  外来語の場合、戦争の影響は大ですね。日本はアメリカにも、イギリスにも負けた。両方とも英語国でしょう。そのときに、しばらく起きてたのは日本語のピジン英語化があり、いまはほとんどクレオールになり、チャンポンに使う時代から、それが母語だと思って、それを自然に受け取る世代へ移ってくる。そこへちょうどコンピュータの英語の流れとぶつかって、いま日本語自体が大変なことになっている気がします。
平田  これは三田誠広さんが『天気の好い日は小説を書こう』で、早稲田の学生に講義をしているなかでおっしゃっていたと思うんですけど、いまの学生に文章を書かせると日本語が英語っぽくなると。なぜかというと、いまの学生はほとんど文章を書いたことがなくて、いちばん長い文章が英文和訳の文章なんで、どうしても英文和訳的になってしまうというんですね。(中略)
井上  「ディスカバー・ジャパン」(1970年)以来、動詞が外来語になってきてから、外来語が次々と日本語を侵食していますけど、僕は、以前、副詞までは外来語になっても構わないと思っていました。それから百歩譲って、形容詞までは大丈夫だろう。それでも日本語は大丈夫だと思ってたら、このごろは、接続詞、間投詞までも外来語です。いま助動詞と助詞ぐらいですか、日本語であることを保っているのは。もっとも、助詞も危ないか。

 井上は芝居の作り方=ルールを明かす。

井上  (前略)僕の芝居はだいたい1,200のせりふからできているんですが、最初のせりふが2番目のせりふを引き出し、2番目のせりふが3番目を連れ出し3番目が4番目というふうにつながっていきますね。それで、次は3番目のせりふが18番目とか19番目にもつながっていって、それがまた150何番目とも関係してくる。
 つまり、ひとつのせりふがゴムボールのように、いくつかのせりふを飛び越えて、またバウンドするわけです。5番目が800番目のせりふにつながったり、13番目が1,001番目と交差したり。そして最初のせりふと最後のせりふがつながって初めて完成ということになる。ですから、最初のせりふと最後のせりふがわからないうちは書き出せないのです。

 平田が井上に社会的背景に関することを質問する。

平田  僕がきょう、いちばんお伺いしたかったのは、戯曲を書くうえでの社会的背景に関することです。(中略)僕はどちらかというと、家族とか、いわゆる人間の側から入っていって、社会問題をその外側というか、背景として考えていくんですけれども、井上さんの『紙屋町さくらホテル』の場合、天皇の戦争責任の問題が背景になっていますが、そういった社会的な問題と人間の側とどちらが先というのはあるんですか。
井上  『紙屋町さくらホテル』の場合は、新国立劇場から、「天皇の戦争責任を問うような芝居は上演できない」と拒否されるような戯曲を書きたいと思った(笑)。不純な動機です。不思議なもので、不純な動機のときは本が上がる(笑)。

 『紙屋町さくらホテル』は本当に優れた芝居だった。たしかに天皇の戦争責任が大きなテーマであるが、そんな図式的な芝居では全くなくて、人間が活き活きと動いて、笑いが絶えなく、そして悲しい話でもあって、深く感動したことを憶えている。こまつ座井上ひさしと木冬社の清水邦夫の芝居は忘れることができない。
 もっと多くの人に芝居を見てほしい。優れた芝居を見た感動は何十年経っても忘れないのだ。
 清水邦夫も戯曲の書き方の秘密を明かしていた。
劇作家 清水邦夫の秘密(2007年3月20日
 井上のいうピジン英語やクレオール化については、言語学者田中克彦と千葉栄一に教えられた。
日本語のピジンイングリッシュ化を危惧する(2008年1月13日)
クレオール語の例(2010年2月24日)
 井上ひさしの芝居については、
井上ひさし『少年口伝隊一九四五』を読む(2013年8月9日)
新国立劇場小劇場の『少年口伝隊一九四五』を見る(2013年8月3日)
井上ひさし作「ムサシ」を映画で見て(2011年1月6日)
井上ひさしの朗読劇「リトル・ボーイ、ビッグ・タイフーン」(2008年2月28日)


話し言葉の日本語 (新潮文庫)

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