井上ひさし『芝居の面白さ、教えます 日本編』を読む

 井上ひさし『芝居の面白さ、教えます 井上ひさしの戯曲講座 日本編』(作品社)を読む。これが面白かった。仙台文学館の初代館長だった井上ひさしが行なった戯曲講座という講演会と文学講座を文字起こししたもの。ほかに「海外篇」もある。

 取り上げられたのが、真山青果宮沢賢治菊池寛三島由紀夫安部公房の5人。真山青果の評価が極めて高い。

 

 真山青果という人は小説家、劇作家、そして考証家、この3つの顔を持っています。近世以降の劇作家の名前を非常に荒っぽく挙げていくと、近松門左衛門鶴屋南北河竹黙阿弥と来て、ちょっと時代を下って、大正から昭和にかけては真山青果岸田國士。その後に続くのが、久保栄、三好十郎、真船豊、森本薫……ということになります。森本薫という人はご存じのように『女の一生』を書いた人ですね。で、戦中から戦後にかけては木下順二さん、それから安部公房さん、三島由紀夫さんというふうに大きな山がいくつもありますが、その中でも黙阿弥と並んで真山青果は抜きん出て高い山であるということは、わたしも芝居を書きますので断言できます。

(中略)

真山青果の)『元禄忠臣蔵』は芝居としてもたいへん面白いですから、機会があったら、映画ではなくてぜひ舞台で観てほしい。観れば、真山青果という人がいかに日本には珍しい論理的でカッチリした構造で芝居を書く人か、そして彼の書く日本語がいかにすばらしいかということがよくわかります。日本語というのは情緒的で論争ができないとよくいわれますけれど、それはむしろ使う私たちの問題であって、真山青果の登場人物にかぎり、論理的な論争をきっちりできます。

 

 そうか、それでは真山青果『元禄忠臣蔵』(岩波文庫)は読まずばなるまい。

 宮沢賢治の評価も極めて高い。

 

(……)これから百年、おそらく千年経ったら、ほとんどの作家の名前が忘れられているでしょう、賢治さん以外は。

 もし、千年後に日本文学史が書かれるとすると、20世紀からは、二葉亭四迷の初期の翻訳、詩人はわかりませんけど、漱石の何か1点、おそらく『坊っちゃん』か『草枕』でしょうか。川端さんが何か残るかなあ、芥川さんもちょっと残るかもしれない。(中略)いまを時めく人はほとんど残りません。でも、ぼくの芝居は残るかもしれません(笑)。『父と暮らせば』かなんか……。大江さんは何か残ると思います。それから丸谷さんも『笹まくら』あたりが残ると思いますね。

 

 そう言えば安部公房宮沢賢治を高く買っていた。愛人の山口果林の質問に答えて、安部公房が挙げた作家に宮沢賢治が入っていた。

 いつのことだったか、「次の世紀に生き残る作家は誰だと思う? 3人挙げてみて」と聞いたことがある。安部公房は少し考えて「宮沢賢治太宰治……うーん」3人目の名前はなかった。自分だという思いがあったのだと思う。

         (山口果林安部公房とわたし』(講談社)より)

 

 三島由紀夫の芝居の評価も大変高い。

 この人の作品は素晴らしいですよ。とくに戯曲は大変なものです。この人の芝居は、戦後といわず、日本の近代劇の歴史の中でベスト3に入ると思います。

 三島由紀夫の『鹿鳴館』が絶賛され、そのドラマツルギーが分析される。

 三島の自決についての質問についての回答は極めてそっけない。

「あの人は書くことがなくなったんだ」ということだけですね。

 

 三島の戯曲でも、『鹿鳴館』から『サド侯爵夫人』までがピークで、それ以後の『わが友ヒトラー』とかだんだん駄目になってきていると。

 

 安部公房については小説を高く評価する一方、芝居は「ニセの前衛」だったかもしれないと評価は低い。

(……)安部公房さんの小説は世界的レベルですけど、どうも演劇というものをほんとうには理解していなかったんじゃないかと思わざるをえません。

(中略)

 結論としては、安部公房さんの小説に関しては、読み返すたびにいい小説家、すばらしい小説家だと思います。でも、かつてあれほど感動した戯曲が、いま読み返すと実に駄目である。テーマとかせりふの端々にすごいところがありますけど、戯曲の構造設計士としては決して一級の評価は上げられない。二級ぐらいですね。構造設計の計算ができていません。

 

 いやとても面白かった。「海外篇」もぜひ読んでみたい。