ドナルド・キーン「日本の作家」(中央公論社)を読む。作家論で、取り上げられているのは、森鴎外、正岡子規、石川啄木、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治、三島由紀夫、安部公房、大江健三郎などだ。1959年から1971年にかけて雑誌や文学全集などの解説等に書かれたものを集めている。特に三島由紀夫、太宰治、谷崎潤一郎についての作家論が充実していてすばらしい。
太宰の作品構成にはみごとな技巧の冴えがみられる。現代の日本の小説の中で、「人間失格」ほど印象的な書き出しと結末を持っているものはないと思う。(中略)「はしがき」は、むだな言葉を一切使わず、詩的な構成で完全に小説の情調をかもし出す。(後略)
だが、この小説の「あとがき」はさらにもっとすばらしいと言ってもさしつかえない。最後の2、3行まで、「人間失格」の全体の意味が表れて来ないといってもいい。(中略)
こんな具合にして、太宰は最後の仕上げで自分の小説を一人の人間の懺悔録から奥深い芸術作品に一変させることに成功したのである。
「人間失格」を読み直してみよう。
太宰文学は彼の芸術的優秀さを物語るばかりではなくて、「日本人の手によって書かれた小説」という印象よりも先に、「日本を舞台にして現代人が書いた小説」という文学的感覚を外国人に与えるものであり、現代という歴史的時代全体の遺産として後世に残るだろうと断言してもさしつかえないと思う。
絶賛である。
三島由紀夫の死に対して、
彼(三島)の死後投函された私宛の最後の手紙には「君なら僕のやろうとしていることを十分理解してくれると思う。だから何も言わない。僕はずっと前から、文人としてではなく武人として死にたいとおもっていた」と書いてある。私には彼の行為を十分理解できるかどうか確信はない。しかし、三島の行為を気違い沙汰だと言った日本の首相が彼を誤解していることは確かだ。彼の行為は論理的に考え抜いた上でのことであり、恐らく、やむにやまれぬことだったと思う。しかし、彼に比べればわれわれはみな、取るに足りない存在だ。私は無二の親友を失い、世界は偉大な作家を失った。
「私は無二の親友を失い、世界は偉大な作家を失った。」!
私はこの「日本の作家」を図書館から借りた本で読んだ。1972年発行の単行本だ。その後中公文庫になったようだが、現在絶版となっているようだ。Amazonでは1円(送料250円)で売られているが。
優れた作家論だ。どこかの出版社が文庫本などで発行することを望む。
- 作者: ドナルド・キーン
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1978/03/10
- メディア: 文庫
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