橋本治『そして、みんなバカになった』を読む

 橋本治『そして、みんなバカになった』(河出新書9を読む。橋本治の対談集というかインタビュー集。橋本は『桃尻娘』でデビューした作家だが、あまり注目してこなかった。でもきわめてユニークな作家で、『枕草子』や『源氏物語』、『平家物語』などを現代語訳している天才の名に相応しいだろう。

 橋本はいわゆる文学作品は全く読んでないと言う。日本の近代文学全集にカウントされる作家で読んでいるのは、谷崎潤一郎三島由紀夫ぐらい。でもその読み方は個人全集を買って全部読むという。

 

 文章と絵ということで言えばさ、三島由紀夫は絵画的なところもある。絵画的といってもいろいろだけど、三島由紀夫がすごいのは、情景描写なのね。『午後の曳航』なんて近代の写生画の中で、いちばん美しい写生画だって言いたいぐらいに文章がすごいんですよ。

 普通、情景描写がきれいというと、情景が浮かぶところがあるんだけれども、三島由紀夫の『午後の曳航』がほかと違っているのは、デッサンの跡が緻密に書いてあって、それに薄く絵の具を塗った水彩画のようなものなんですよ。つまり字が見えていて、そこに風景があるというようなもの。行間で絵を見せるのではないのね。文章が全部、絵の骨格になっていくぐらいで、正確極まりなくて、その正確さが美しいんですよ。

 あれだけの風景画を描いている人って、画家でもそんなにいないでしょう。ちゃんとした写実の絵には、その画家の個性というものがあって、生き方も反映している。高橋由一がなんで鮭を描いて、その絵になんの意味があるのかというのと同じぐらいの深さが、『午後の曳航』の描写の中にはあるんですよ。

 谷崎潤一郎はやっぱし天才で、あんなにありとあらゆる数の文体を持っている人っていなくて、谷崎潤一郎にとって、文体は絵の具の色なんですよ。『春琴抄』を初めて手にして1ページ目を開けたら「なに、この漢字と片仮名しかないのは」って。耽美の話だと思っていたのに、予審調書みたいな文章でショックだった。どういうアプローチをすればどういう小説になるかを全部分かった上で、「こういう文体で書こうか」と考える人だよね。そういう意味では谷崎潤一郎ははじめから文章化だと思うのね。

 

 こんなことを書いた作家もいなかった。あんたも天才だ。

 本の読み方を聞かれて、

 

……20代から30代の初めぐらいまで、本を読むときの基本スタイルというのは、まず編み物の図面を目の前に置いて、そこに本を置いて、本を読みながらセーターを編んでいた。本だけ読むということはほとんどしてないんです。

 

 橋本は一昨年に71歳で亡くなっている。その間に200冊近くの本を執筆している。すごい人だ。

 

 

そして、みんなバカになった (河出新書)

そして、みんなバカになった (河出新書)