丸谷才一・編『恋文から論文まで』を読む

 丸谷才一・編『恋文から論文まで』(福武書店)を読む。まえがきみたいな文章で、編者の丸谷が書いている。

 

 (……)随筆がある。評論がある。対談がある。講義がある。題材も、恋文、料理、作文、卒業論文、小説、悪文と幅が広い。筆者の職業だつて、いろいろさまざまだ。硬軟とりまぜて、まことに読みごたへのある本ができたと自負してゐる。

 

 23人の23作品が集められている。丸谷が自負すると言うだけあっていずれも面白い。名編就者と言われた大久保房雄の「気になる文章」、これは有名作家たちの気になる文章=誤りを厳しく指摘している。ある作家の原稿に、「一天俄に晴れ上る」とあったが、これはかき曇るだ。「一歩譲って」を最近の作家は「百歩譲って」と書く。「口をかけたが起きて来ぬ」は「声をかけた」だ。「二十年来この方」は意味の重複。大久保にかかっては有名作家も形無しだろう。

 瀬戸内晴美(寂聴)が平塚らいてうの恋文を紹介している。すごい恋文だ。伊藤野枝の恋文は情熱的だ。

 高橋義孝は若い国文学者の論文を激しく攻撃している。名前は挙げられていないが、論文を具体的に書きだしているので、関係者たちには誰のことか分かるだろう。「穴だらけの文章を書いて平気でいられる人間の気持ちもわからない」。

 佐藤春夫谷崎潤一郎の『文章読本』を批判している。しかし、それは谷崎が、「思ふに文章は口でしやべる通りに書け」と云つた佐藤春夫の言葉を批判したからだろう。

 最後に「『文章読本』についての閑談」という丸谷と吉行淳之介の対談がある。

 

丸谷  川端康成の『文章読本』のほうには説が二つあって、一つはA氏の代作であるという説。もう一つはB氏の代作であるという説。『現代の小説』だったか、『小説の研究』だったか、とにかくその手の本は、本当にB氏らしいんだが、『文章読本』には、説が二つあるんですよ。僕は違うと思う。もし代作なら、あれだけとりとめないことは書けないですよ。

吉行  なるほど、一理ある。代作というからには、代作者は、頑張る筈だものね。

丸谷  つい中身のあることを書いてしまう。

〔追記。その後、川端康成の『文章読本』は門弟某氏の代作であるという、当時の編集者の証言を得た。〕