「安部公房伝」がおもしろい

 安部ねり安部公房伝」(新潮社)がおもしろかった。著者は安部公房の一人娘、医者をしているという。父親の文才は娘には伝わらなかったらしい。とにかく文章が下手なのだ。ときどき未消化な言葉が挿入されている。モダンダンスの演出をしていたメアリー・ジャン・カウエルが安部公房の設立した劇団「安部スタジオ」を指導したことがあった、と紹介してこう書く。

古典バレーは感情などを表現する芸能的なものであったが、モダンダンスは時代の欲求から認識の深層を生理的に哲学するものとして、爆発した。

 しかし内容は本当におもしろいのだ。公房の日常が娘によって書かれていく。しかし、これを読むかぎり娘は父親の文学の価値を本当には分かっていなかったのだろうと思う。とても理解して尊敬している態度とは思えない。世間の評価を自分の評価としているのではないだろうか。「蟹は己の甲羅に合わせてその穴を掘る」という諺を思い出した。
 第4部がインタビューを集めている章で、ドナルド・キーン大江健三郎中原佑介針生一郎安岡章太郎など25人の声が並んでいる。このインタビューアーが下手で、まとめもひどい。だれの仕事だろうと思っていたら、ドナルド・キーンが「お父さんとは長いつきあいで、本当に親しかったです」と言っている。では安部ねりがインタビューしているのか。
 晩年安部公房は奥さんの安部真知と不仲になり、別居していたという。それについて、娘はこう語る。

真知は不可思議な人間関係を妄想したが叶わなかった。事実をまるで絵画のように一部強調して感じたりすることは人がよくやることだが、ついに的外れな評論家のように知ったかぶって公房の作品を批評してしまったりもした。公房は、僕ぐらい自分のことを分かっている人はいないと思うよ、と言い、真知は不快な顔をした。最後にはもはや一緒にいることは不可能な様子になってしまった。

 おそらく不仲の原因は公房の愛人ではなかったか。安部スタジオの看板女優と深い仲にあるとの噂は私ですら聞き及んでいた。公房は醜男だったから、有名になって美女がすり寄ってきたときどう思うか、同じく醜男の私にはよく分かる。しかし写真で見る限り真知も美人だった。
 さて、元NHKのディレクター長与孝子へのインタビューで、彼女が1959年にラジオドラマの「ひげの生えたパイプ」を書いていただきましたと言っていて驚いた。小学生の頃、私も楽しみでこの連続ドラマを聴いていた。主題歌などまだ部分的だが憶えている。あれって安部公房の作品だったんだ!
 和田勉が劇作家の内田栄一が安部公房の弟子だったと言っている。私もむかし内田栄一の変なアングラ芝居をよく見ていた。アサヒカメラの編集者が、木村伊兵衛賞を「既視の街」の渡辺兼人が受賞したとき、もう一人の候補者「東京特急」の北島敬三でなく渡辺を推したのが安部公房だったと言う。
 本書の評価として★4つとしたい(満点は★5つ)。文章が下手なのにもかかわらずおもしろく読んだのだった。

安部公房伝

安部公房伝