司馬遼太郎・井上ひさし『国家・宗教・日本人』を読む

 司馬遼太郎井上ひさし『国家・宗教・日本人』(講談社文庫)を読む。二人の4回の対談を収録している。

 二人の対談がとても面白い。「よい日本語、悪い日本語」から、

 

司馬遼太郎  政治家の言葉がいかに世の中の言語に大きく影響するかというと、たとえば最近、たいていの人がテレビ・マイクの前で「そういうことはしたくないなと思いました」と、「な」が文中につくんです。これは竹下(登)さんがはじめたことでしょう。「な」ということ言葉をつけると柔らかく聞こえるとでも思ってのことなのか、国会答弁で「自分はそういうことはあまりしたくないなと思っております」などという言い方をいつもしていました。

 もうひとつ、8、9年前にどなたかの短い文章で、近ごろ耳障りな言葉の一例として、「何々させていただきます」という言い方を挙げた人がいます。私はまったく同感だったんですが、政治家の答弁はほとんど「何々させていただきます」のオンパレードで、それが嫌らしい、かつての語法にはなかった、と書いていました。

 この人の嫌らしいという意味は、私は100%分かります。なぜかと言えば、この言葉は私の憶測では大阪の船場でできあがった。船場にはいろいろな国の人が集まりましたが、有力なのは近江の人でした。その近江の人はほとんどが真宗門徒で、子どものころからお寺へ行って説教を聞いている。その説教は、われわれは阿弥陀如来によって生かされているというのが中心です。阿弥陀さんのおかげでこうやってご飯を食べさせていただいてる、今日も元気で学校へ行かさせていただくというような、阿弥陀如来を前にしての謙虚さの表現でした。

井上ひさし  阿弥陀様に対しての、というところが大切ですね。

司馬  そうです。その宗教性が外れて、船場の呉服屋の番頭が使い、いまでは細川護熙さんのような新しい人でも、国会答弁で「させていただく」と言う。「させて……」は動詞ですが、日本語が動詞をいったん出したら、伝家の宝刀を抜いたようにぎらぎらしている。それなら、たとえば「ぼくは断ります」といより「断らせていただきます」としたほうが、伝家の宝刀のぎらつきが柔らかいでしょう。だから「いただきます」をつける。

 

 そのほか、参考になるエピソードが満載だ。贅沢な本だと思う。