松岡正剛『日本文化の核心』を読む

 松岡正剛『日本文化の核心』(講談社現代新書)を読む。カバーに「松岡日本論」の集大成とある。いくつかの新聞の書評で絶賛されていたと思うが、その記事が見当たらない。
 松岡は古代からの日本の文化を取り上げて、それを編集して松岡日本論を提出する。それは加藤周一『日本文学史序説』や司馬遼太郎『この国のかたち』を思い出させた。加藤は文学を題材にしているし体系的だ。司馬はきままにテーマを選んで書いていた。それらに比べると松岡は一応体系的だが、各項目を自由にピックアップしていて、ほとんど恣意的な選択かと思えるくらいだ。
 それだけに取り上げるテーマは独創的で参考になることも多い。ただきちんとした裏付けを欠いたまま言いきっていることも多く、読んでいて落ち着かない。
 松岡は日本の稲作に関して直播きではなく苗代を挟んだことが日本の画期的なイノベーションだったと書いている。この苗代を挟んだ耕筰は田植えのことだが、それは日本の発明ではない。最初から田植えという栽培方法が中国から伝わってきたものだ。池橋宏『稲作の起源』(講談社選書メチエ)にそのことが詳しく書かれている。
 池橋は元農林水産省水稲の育種の研究者だった。その経歴から、1年生の野生イネが湿地に種子で播かれて栽培化されるということが現実的でないこと。水田は特殊な栽培方法であり、焼畑から自然に水田が出来たと考えることは難しいこと。稲の変化の筋道は、野生イネ―水稲陸稲であって、陸稲から水稲に戻ることはほとんど不可能であること、等を指摘する。
 結論として池橋は、栽培イネは中国長江下流域で根菜農耕文化から生まれたとする。住居の周囲の池に植えたサトイモとともに多年性の野生イネが選抜され、サトイモ同様に株分けされる。これが田植えの始まりなのだ。池の多年性イネの株分け、ここから水田での田植えという不思議な栽培形態へはほんの一歩だ。
 松岡は、日本人が直播きの種籾をそのまま育てずに、いったん苗代で苗にして、それから田植えで「植えなおす」という工夫が、日本的でイノベーティブな方法だと説く。日本がグローバルスタンダードの技術やルールをそのまま鵜呑みにして直接つかうのではなく、いったん「日本化のための下地」をつくって工夫しなおすほうがいいという、けっこう重大なヒントを告げているのではないかと思うと続ける。
 古代日本は「倭」と言った。中国がそう呼んでいたからだ。この倭に「やまと」の読みを当てた。それを8世紀前後に日本と自称するようになった。この辺りは白村江で倭が大敗して倭の統治主体が代わったからだと考えるのが分かりやすい。九州王朝と近畿王朝の交替だ。「倭の五王」問題はこれ以外解決できない。
 後半になるほど恣意的な選択の印象が強くなる。加藤周一司馬遼太郎の緻密な論理展開が懐かしくなる。しばらく松岡を読むことはないだろう。