佐藤洋一郎『稲と米の民族誌』を読む

 佐藤洋一郎『稲と米の民族誌』(NHKブックス)を読む。副題が「アジアの稲作景観を歩く」と言い、佐藤が30年間にわたって調査したアジアのイネと稲作の現地調査を振り返っている。今まで佐藤の著書としては、『稲の日本史』、『イネの文明』、『イネの歴史』などを読んできたが、本書はそれらの研究にあたって調査で訪れたインド・ヒマラヤ圏、タイ、ラオスベトナムカンボジア、中国について、半ば紀行文のような体裁で書き綴っている。肩の凝らない軽いエッセイ仕立てといったところ。それでも野生イネやイネの起源、各地の稲作状況等々が専門家の立場から語られている。
 30年間の調査では、最初に訪れたときと最近の現地の状況がどんなに変わっているかが驚きとともに紹介される。
 私が驚いたこともいくつかあった。田植えの起源について、カール・サウワーの説が引かれている。

 田植えの起源については諸説ある。その中でも、カール・サウワーの、サトイモの株分けがその起源であるとの説は興味を引く。その技術が稲作に転用されたというのである。

 田植えの起源については、2005年に池橋宏が発行した『稲作の起源』(講談社選書メチエ)で、「稲作の起源は根菜農耕から生まれ、多年生の野生稲株分けけから現在の田植えをする稲作が始まった」と書いていて、それが新説だという認識だったが、すでにサウワーが主張していたということだろうか。
 また昔、中尾佐助や上山春平の「照葉樹林文化」という魅力的な提案に心ときめかせていたが、そのことも否定されている。中国の「雲南を行く」の章で、

 かつてこの地は、「照葉樹林文化」の発祥の地であり、そしてそれは東に延びて日本の西南部にも達していた。この文化の共通項が、かつてこの地に入った研究者たちをしてそこを日本文化の起源の場所であると勘違いさせた。

 勘違いだったのか! そういえば、むかし明治維新などの日本近代史を読みふけっていたが、数年前久しぶりに読んだ岩波新書の「シリーズ日本近現代史」で、この分野でも研究がずいぶん進化していることに驚いたことを思いだす。
 本書は稲作研究を中心にした東南アジア研究紀行としておもしろく読んだのだった。

稲と米の民族誌 アジアの稲作景観を歩く (NHKブックス)

稲と米の民族誌 アジアの稲作景観を歩く (NHKブックス)