池内紀の「二列目の人生」を読む

 ドイツ文学者でエッセイストの池内紀「二列目の人生」(集英社文庫)を読む。副題が「隠れた異才たち」とあり、タイトルの由来があとがきに書かれている。

『二列目の人生』といったタイトルは、記念写真になぞらえている。卒業アルバムなどでおなじみだろう。写真の一列目、まん中にクラス担当や学級主任といった教師がいると、その左右に委員長、副委員長、さらに隣合って役つきの優等生がすわっている。
 二列目はどうだったか? 写真では二列目のはしっこでソッポを向いているが、ポスターを描かせると、やたらにうまかった。運動会になると、がぜんスターになった。弁当の早食いにかけては誰もかなわない。なぜか女の子に人気抜群というのもいた。

 いやしかし、本音のところは業界トップではなく2番手という意味だろう。「隠れた異才」というのが最も当たっているが。選ばれたのが15人、もう一人の熊楠たる大上宇市、松園のライバル島成園、ハーンにならないモラエス別府温泉から湯布院を開発した中谷巳次郎、大正天皇の侍医西川義方、日本山岳会創立者の一人高頭式、帝劇の社長秦豊吉、料理の本も執筆した料理人魚谷常吉、志功の友人の画家篁牛人、詩人尾形亀之助青木繁の遺児であり尺八の名人福田蘭童、版画家小野忠重照葉樹林文化の提唱者中尾佐助、エッセイスト早川良一郎古橋広之進のライバル橋爪四郎。単行本では「気まぐれ美術館」の洲之内徹も入っていたが文庫化される際削られた。洲之内は一列目と評価替えされたのか。
 さて、私が知っている人物はこの15人のうち、尾形亀之助、福田蘭童、小野忠重中尾佐助の4人きりだった。しかも中尾佐助以外は深くは知らなかった。私財を投げ打って日本山岳会を支えた高頭式、料理人魚谷常吉の生き方には感動した。阿佐ヶ谷にあるという小野忠重版画館にはぜひ行ってみたい。
 中尾佐助は好きでよく読んだ植物学者だ。「栽培植物と農耕の起源」(岩波新書)や「照葉樹林文化」(中公新書)、「料理の起源」(NHKブックス)、「分類の発想」(朝日選書)など、どれも面白かった。今西錦司グループの一人だ。中尾佐助が二列目の人生の人と言われると、強い反発を感じてしまう。
 早川良一郎を紹介した中に面白いエピソードがあった。大正8年(1919)生まれの早川が、昭和10年(1935)に父の親友の海軍武官を頼ってイギリスへ行く。早川はドイツで医者の勉強をしたいと言った。

 ドイツで医者の勉強をするというが、ドイツ語はまるきりできない。ドイツへ行けば、だんだん憶えるはずだというが、そんな悠長な時代ではないだろう。ヒットラーが政権を握っており、何をやらかすかわからない。フランスとイギリスは戦争をする気はなくても、ドイツはやる気十分だ。欧州は混乱する。
ヒットラー政権のある間、おれは君をドイツにやることは賛成できない」
「では、イギリスにいます」
「ここでなにをやる」
「英語を勉強します」
 英語ができて何になる、と海軍武官にさとされた。教育と教養の結果としての英語ならイギリス人もきいてくれるが、ただしゃべれるだけでは「通弁英語」であって、そんなものを英国人は相手にしない。

 オランダのハーグで国連機関に勤めている春具氏も、どんなにしゃべれても読み書きのできない英語では仕事にならないとJMMに書いていた。中学卒業後ブラジルへ行き、10年近く滞在して帰国した青年に会ったことがある。ポルトガル語がペラペラだというその青年に、日本でポルトガル語を生かせる仕事がないという。彼は不自由なくポルトガル語を話すことができるが読み書きができないのだった。


二列目の人生 隠れた異才たち (集英社文庫)

二列目の人生 隠れた異才たち (集英社文庫)